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「洪庵のたいまつ」 司馬遼太郎記念館にて。息子を連れて再訪

  司馬遼太郎記念館再訪。この記事は2011/3/19の話です。自分の中のもやもやとした気分を晴らすためと大阪の親戚に行く用事があったので、高校受験を終えた息子を連れ出した時の話。

司馬遼太郎記念館
〒577-0803 大阪府東大阪市下小阪3丁目11番18号
℡06-6726-3860 
開館時間 午前10時~午後5時(入館受付は午後4時30分まで)
休館日  月曜日(祝日、振替休日の場合はその翌日)
     年末年始(12/28~1/4)
     特別資料整理期間(9/1~9/10)
入館料  大人・大学生 500円、高・中学生 300円、小学生 200円
      20名以上の団体は、入館料が2割引
駐車場  5台

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 二回目の訪問。今回は息子を連れて。筋目の時なのである目的を持って。

 有名な話だが、司馬遼太郎はいくつか教科書のための文章を書いている。
三つほどあるらしい。そのうち、読んでいるのが、小学6年生用に書かれた「21世紀に生きる君たちへ」ともう一つ。これも有名な話だが小学5年生のために書かれた「洪庵のたいまつ」。大阪にあった適塾と緒方洪庵の話。
「洪庵のたいまつ」の話が好きなんです。

~すばらしい学校だった。 入学試験などはない。 どのわか者も、勉強したくて、遠い地方から、はるばるとやってくるのである。 江戸時代は身分差別の社会だった。しかしこの学校は、いっさい平等だった。さむらいの子もいれば町医者の子もおり、また農民の子もいた。ここでは、「学問をする」というただ一つの目的と心で結ばれていた。~

その文章の最初はこういう言葉で始まる。
~世のために尽くした人の一生ほど、美しいものはない~

そして、こうしめくくられる。
~洪庵は、自分の恩師たちから引き継いだたいまつの火を、よりいっそう大きくした人であった。かれの偉大さは、自分の火を、弟子たちの一人一人に移し続けたことである。 弟子たちのたいまつの火は、後にそれぞれの分野であかあかとかがやいた。やがてはその火の群が、日本の近代を照らす大きな明かりになったのである。後生のわたしたちは、洪庵に感謝しなければならない。~
(以上、「洪庵のたいまつ」より原文のまま勝手に抜粋)

これをきちんと伝えたくて、今度、高校へ進学する息子を司馬遼太郎記念館に連れてきた。

 司馬遼太郎記念館のことは以前、記事に書いたので割愛する。

 息子は大河ドラマ「功名が辻」を見て、私の書庫から司馬遼太郎の本を引っ張り出して読み始めました。小学校5年生の時だったと記憶しています。
彼は本を繰り返し読む。それも擦り切れるまで読む。司馬遼太郎の著作も同様。一番気に入っている「太閤記」は本人でも何回読んだかわからないくらいに繰り返し読んでいる。
好みは戦国物で、幕末などにはあまり興味がないようだ。「竜馬がゆく」は2回程度しか読み直していないと思う。
ただし、中学生になってから読み出した「坂の上の雲」は気に入っているようで、数回読み返している。無口な息子にいろいろ尋ねてようやく、いろいろ聞きだしたのだが、司馬遼太郎が主題として伝えたかったことよりも、技術的な内容(例えば連合艦隊がなぜ勝利したのかとか、陸戦の各部隊の配置とか)に興味を持っているようだ。
 以前、まだ小学生だった頃に聞いたことがある。「難しい漢字はどうしてる?」には「飛ばして読んでいる」。さらに「意味はわかるのか?」と聞くと、「わからないところは何回か読んでいるとわかるようになる」と言っていた。
繰り返し読んでいることもあって、話の筋や登場人物の背景など、実によく記憶している。誰それは何とか国6万石の誰それの三男だったが、どこそこに養子に行って・・・等々。
本が好き。読書が好き。学校の休憩時間も図書館へ行って本を読む。小学校の宿題の読書感想文も司馬遼太郎の著作で書いた。先生のコメントは「難しい本を読むことができましたね」だった。これだけの読書量があっても彼に言わせると「特に感想はない」のだという。感想がないから感想文は書けない。あらすじだけ書いている。先生もコメントのしようがない。
繰り返し読むのだから、何か感じるものはあるのだろう。読解力はあるが表現力がないだけなのかもしれない。
人に自分の考えを伝えるのが下手なんだと思っていたが、どうやらそれだけでもないようだ。人のウワサ、悪口を言わないだけでなく、自分のことも積極的に表現しようとしない彼に何かを感じてもらいたくて司馬遼太郎記念館に来た。

 感動ホルモンの少ない(でも“お笑い”ホルモンは豊富です)息子が、記念館に入った瞬間、「お~」と驚いた。あの著作の背景にある書物が多数展示されている。
その後、特別展「坂の上の雲」を見て、ホールで司馬遼太郎の映像、そして記念館の天井の竜馬の影も見た。
「どうだった?」と聞くと「良かったよ」と珍しく誉めてくれた。「やっぱりすごいね」と付け加えた。「そうだね。スゴイね」と答えたが、「どこがすごかったと思う?」と聞くのはやめた。「想い・思い」というのは形に見えないものだとACも言っている。無理に言葉にかえることはない。形として見せてくれるまで待つことにした。

 高校へ進学する君へ伝えたいことがある

 父は家族のために尽くしてきたとは言わないが、少しは家族のために貢献してきたと自分では思っている。でも、世のためになることは何一つできていない。
父から渡す松明には、小さな、ろうそくのようなささやかな火種しかついていないけれど、君は、赤々とした松明の火にして世の一隅を照らしてほしい。幸い、父に不足していた科学的に理詰めで物事を考える力を君は少し持っているようだ。それをこれからの3年間で育んで、さらに大きな松明をともす準備を進めてほしい。大人しく真面目で人の悪口を言わない君を父は少し誇らしく思うと同時に、羨ましく思っている。

        2011年3月19日 父より

 福田(司馬遼太郎本名)邸の庭に菜の花が奇麗に咲いていた。
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この季節になると地元 布施の人達は自分たちの町を菜の花で飾ろうとしているらしい。
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司馬遼太郎の書斎を眺めていたら虫が息子の指に止まったとかで「ひょぇ~」と大きな声を出して怖がっていた。蜂に二回ほど刺されてから虫がどうも苦手になったようで(笑)。こんな調子じゃあ 松明の火種も消えてなくなりそうだ。

追伸 
 今回の「坂の上の雲特別展」では正岡子規の「俳句復興の松明となる」という言葉が印象に残りました。子供には美しくなくとも良いが、胸をはれる生き方をしてほしい。

●購入商品
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・ネットではなく、本屋で現物を見ながら購入するのが好き。でも本屋で品揃えしていないものもある。今回は未読の本を4冊ほど購入。これで司馬小説の未読はなくなってしまった。
そして、子供の記念に何か一品ということで本人に選ばせた。「坂の上の雲」の金属製の栞を選んだ。
・袋は120円。カバーの紙は本を購入するといただけることは以前の記事にも書いた。

●資料
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和歌山県 串本~太地(落合記念館)~勝浦オークワ
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2010/02/10司馬遼太郎記念館(東大阪市)訪問記
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