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大正生まれの母の「不幸の連鎖」。第二話「93歳の決心」

この記事はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

 

★この記事は第一話~第七話があります

2017/04/05第一話「事故。緊急搬送。大腿骨頸部骨折」
2017/04/06第二話「93歳の決心」
2017/04/07第三話「93歳の手術」
2017/04/10第四話「術後せん妄」
2017/04/11第五話「せん妄から回復」
2017/04/12第六話「リハビリと病院への宣言」
2017/08/03第七話「リハビリの結果と退院」

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 翌朝、病院に入るとベットに横たわったまま疲れ果てた表情で母が迎えてくれた。動かさなくとも痛みを感じるようになったらしい。
母に手術の必要性を説明し、納得してくれているが時々弱気になるのか「このまま死んでしまいたい」と言う。痛みに弱いことは知っているので「手術はわからないうちに終わるよ」と伝える。睡眠誘導剤は高齢者には危険なので使用しない方が良いと医者から聞いていたが、ここはなんとか母に踏ん張ってもらいたい。
母は私の判断を信頼してくれているのか、手術の内容を聞かない。ただ「リハビリは辛いから嫌だ」とだけ心配そうに言う。

 「明日からしばらく休みが取れた」と弟から連絡が入った。どうやら病院に泊まり込んでずっと付き添いをする予定のようだ。
ICUから出た後のことを病院から聞かれた。母に確認すると個室が良いという。看護師さんに特別は?と聞くも残念ながら空きがないという。わたしの心情としては特別室が母にふさわしいと思うが背に腹は代えられない。個室で妥協する。(まだこのあたりは軽口をたたく余裕があった)

 ICUからベットを個室に移し、落ち着いたところで母に手術のことを詳しく伝えた。怖がっているが痛みをやわらげたいという思いと、もう一度一人で生活したいという願いが手術を受ける決心をさせたのだと思う。
会社の仕事の心配をする母に「何も心配はいらない」と答えるが、そうもいかない事情があるので、翌日に弟が来るということを伝えて病院を出た。
そして来た道を戻る途中に冒頭のサンダルをクリニックに返却するために寄った。

 私は思い違いをしていたことを知った。
バス停で転んで怪我をしたと聞いていたので、最初にクリニックに運ばれて、骨折とわかってから今、入院している病院に転院したと思っていたのだが、どうやら違うことがわかった。
母は当日の朝、クリニックを訪れ、診察を受けた後、自分の靴がないことに気付いた。母の靴には緑色の糸で母にしかわからない印を縫いこんでいたらしい。同じような靴があるため間違えないように印をつけていたという。
しかたないので病院からスリッパを借りて履いて帰宅途中、バスの乗り換え時に段差で躓き、転倒したという。
足を痛めてからはできるだけタクシーを使うように伝えていたが、「ボケ防止」と言って公共の交通機関を使うことが多いのは知っていた。知っていたが、私たち兄弟は母の意志を大事にしたいと思っているので強くは言わなかった。私たち兄弟を母が呼ぶ時は決まって大事な書類が届いたとか、病院で検査結果を聞く時とか、自分の判断では心もとない時だけ母が私たちのどちらかを呼ぶ。90歳を超えてもできるだけ自活したいと願っている母の意思を尊重していた。
 

 クリニックでいつもお世話になっていることのお礼を言い、スリッパを返した。どうしょうか迷ったが、診察の帰りに転んで骨折したことを伝えた。もし母の靴が見つかったら連絡して欲しいと伝え病院を後にした。
その日たまたま誰かが靴を間違えなければ。クリニックがスリッパではなくきちんとしたリハビリシューズを貸してくれていたらと思ったが、転んだのは母であり、他人の所為にはしたくないと思った。そういうことは母の教えに反すると思ったので。
高齢の母に一人暮らしをさせていた私に責任がある。辛かった。
来た道を3時間かけて会社に戻った。
  (第三話へ続く)

2017/04/07大正生まれの母の「不幸の連鎖」。第三話「93歳の手術」

※この記事はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

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