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「90歳代半ばの大腿骨骨折と手術、そしてリハビリの結果・・・・」第七話最終章

※この記事はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。ということになっていますが、90歳代半ばで骨折~リハビリ~社会復帰は事実です。

★この記事の前に第一話~第六話があります

2017/04/05第一話「事故。緊急搬送。大腿骨頸部骨折」
2017/04/06第二話「93歳の決心」
2017/04/07第三話「93歳の手術」
2017/04/10第四話「術後せん妄」
2017/04/11第五話「せん妄から回復」
2017/04/12第六話「リハビリと病院への宣言」
2017/08/03第七話「リハビリの結果と退院」

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 すっかり、最終章をアップするのを忘れていました。
術後せん妄から復活した母はリハビリに積極的に取り組みだしました。
一週間おきに弟と交代で行っているため、実際に確認するのは2週間おきなんですが、最初は車椅子に乗り移るのさえ苦労していたのに、自分でベットから立ち上がり、介護用歩行器に頼りながらも歩行することができました。
春休みで下宿先から帰省していた孫(すなわち私の子供)も一緒に連れて行ったのが良かったのか、自慢げにリハビリの成果を行くたびに披露してくれる。
母の回復振りに驚いた様子の息子にとって「生きる」という意味を考える良い機会になったのではと思っています。
3月最終週末に病院を子供と一緒に見舞った時に、一生懸命リハビリに取り組んでいる理由がわかりました。
母はもう一度、一人暮らししたいと願っているということでした。私達子供には遠慮して何も話してくれませんが、リハビリの先生やサポートしていただいている看護師さんから伺った話から母の密かな願いというか目標を聞いて、さすがだなと子供ながら思いました。
「自分は高齢だが誰の力も借りずに(実際にはご近所の方々のサポートがあるのだが)一人で暮らしている」という誇りが母の頑張りを支えているのでした。
もう一人暮らしは無理だろうなと思っていた私達家族にとって、今後の母の生活をどうするのかということを考え直す時期がきました。

 突然、病院に併設された地域サポートセンターの看護師さんから電話がありました。
「いつでも退院可能な状況まで回復されました」
慌てたのは私たち兄弟です。1月末に怪我をして、手術、リハビリに約3ケ月という期間を想定していたため、早くてGW連休前、おそらく連休後の退院時期と思っていたため、一ヶ月以上早い3月末に退院ができるとは思ってもいませんでした。
いや、早い退院はリハビリができないと判断された時ということだったので、入院リハビリが完了しての早期退院なんて想定していなかったのです。
望外の喜びとともに今後、どうするかということの結論を早急に出す必要があります。
まずは母の意志を尊重することを弟とは当初より決めていたのですが、早期退院が可能であることと、今後の住まいを含めて相談したのですが、弟の結論は簡単です。

「(母の)言うとおり」

 翌週、母の病室を見舞った時、すなわち4月第一週ですが、母の最初の言葉は「いつ退院する?」でした。実は、母も退院の許可が出ていることを知っていたため、その日、私が迎えにきてそのまま退院すると思っていたようです。
本音を言えば、もうしばらく病院に入院してもらった方が私達家族も安心できるのですが、母が退院する気持ちが強いので、早期の退院手続きを進めるしかありません。
その前に母に直接確認したいことがありました。
まず、選択肢として、私の家に戻り、生活感覚を取り戻してからもう一度、念願の一人暮らしに戻る。
もしくは実家に戻って最初から一人暮らしをする。
当日は母に同居の心配を軽減してもらうために、家人も同行してもらっていました。
母の結論は「すぐにでも一人暮らしがしたい」。
意思が固そうです。
家人はその理由を別の機会に母から聞いています。
90歳代半ばで一人暮らしをしていることが自慢だった。リハビリも「94歳なのに頑張っている」と言われて褒めてもらうことに張り合いを感じた。さらには年下の90歳の女性の方が同じようなケガで入院してリハビリに取り組んでいることにも刺激を受けたそうです。
何より、実家には(亡くなった)おじいさん(すなわち、母の夫で私の父)が待っているというのが最大の理由です。

 ちなみに病院との調整や退院手続き、退院後の地域サポートセンターとの調整その他もろもろを請け負うのは私ということになるので、まずは、そういった調整が済むまでは入院してもらうように母を説得し、病院にもそれを伝えました。
それからが忙しい。
地域サポートセンターの看護師さんやケアマネージャーさんを交えて、退院後のサポート体制を調整したり、自立するたにに必要な備品や家具を調達したりといろいろな仕事が待っていました。
当然、会社には有休休暇を願い出たり、抜け出したり、合間を見て電話したりと、久々に多方面にわたっての調整したのですが、こういった調整が得意であることは母も十分に承知していて、私に担当を振り分けたのですが・・・。

 退院の日が来ました。
病室に入ると、すでにいつでも退院ができるように母が自分で用意して待っていました。
これはレンタル、これは購入したものときっちり仕分けして持ち帰るものと病室に置いておくものを区分。
私には荷物をカートに積む仕事しかありませんでした。
「一人で歩く」という母と一緒にナースセンターへ行き、退院の挨拶を済ませるとスタスタと先に歩く母についていくと、リハビリセンターに到着。
脇で見ている私達に気付いた先生が近くに寄ってきた、退院の挨拶をする母。
嬉しそうに微笑むリハビリの先生。
先生はリハビリの指導中なので母をせかせてその場を離れる。
「ここでリハビリをした」「最初は歩行器で、そのうち杖をついて、そして杖なしで病院の周りを散歩した」と少し自慢げに説明してくれる母。

 母を病院の出入口にある玄関脇の待合場所に待機してもらって車を駐車場から移動させ、自宅へ向かう。
途中、買物をして日用品やら食料を買い込む。もちろん、母は自分の足で歩いて商品を選ぶ。さすがに買物カゴまで持とうとしたのはやんわりと注意して私が運ぶ。

 久々の実家到着。すでに必要な備品は設置済み。介護ベッドもレンタルした。不要だったらレンタルを中止すれば良いということで私が提案して母に受け入れてもらった。
自宅でケアマネージャーさんと打合せしながら母の様子を見る。
そのうち、ご近所の方々が聞き付けて次々と訪れてくれる。実家前の小さな畑もご近所のどなたかが綺麗にしてくれている。ありがたいことと感謝する。

退院してからすでに3ケ月経過し、月に一回の診察には私達兄弟が交代で同行。これはサポートしていただく方に任せずに自分達の役割であると思っています。

  もし、同じような境遇の方がいらしたらということでこの記事を書きました。
怪我当初、ネットで調べたら、リハビリが上手くいって回復したという情報が見当たらなかったので、手術の選択が正解だったかどうか不安でした。
たまたまなのか、必然なのかわかりませんが、高齢者の事故と治療とリハビリに慣れている病院であること、本人の努力と周囲のサポートがあれば高齢者でも自分の足で立って歩けるまで回復する可能性があるということをお伝えしたがったのです。
ご参考になれば幸いです。

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