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雹と霰が降る中、日本三大山城。美濃岩村城跡(岐阜県恵那市)訪問記。霧ケ城,六段壁,野面積,切込接,打込接,埋門,本丸,東曲輪,女城主,秋山虎繁,河尻秀隆,森長可,田丸直昌,松平家乗,丹羽氏信,松平乗紀,

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 日本三大山城は「岩村城(岐阜県)、高取城(奈良県,標高584m)、備中松山城(岡山県,標高430m)」。このうち、高取城は壺阪寺参拝の折に訪れています。今回は根尾の薄墨桜を見るために岐阜行を計画したものの、残念ながら開花前ということで、急遽行き先を変更し、岩村城跡を訪れることに。
愛知県から近く、且つ高速インターからも近いが、もっと遠い金山城や苗木城を先に訪れているのは別目的遠征ついでの観光であるため。たまたま恵那市での用事が今までなかったということが未訪問理由。
 さて、岩村城。100名城に指定された岐阜県内の城は岐阜城とこちらの岩村城で、なかなか貴重な文化財でもあります。
1185年(文治元年)源頼朝の家臣である加藤景廉の子供遠山景朝が築城。岩村遠山家が当地を鎌倉~戦国時代まで統治。
その後、戦国時代に当初の城館から山上に向かって築城したとされています。
戦国時代に岩村遠山家最後の城主である遠山景任病没後(1571年・元亀2年)、織田信長が自身の五男を岩村家の養子として送り込みます。織田信長の親戚(伯母)にあたる「おつやの方」が幼い城主の後見人として差配(“女城主”)するが、翌年には武田信玄家臣の秋山虎繁が攻城。女城主として防戦するも、1573年(元亀4年)におつやの方は秋山虎繁の説得により、虎繁の妻になることで岩村城を信玄方に明け渡す。
しかし、長篠の戦い(1575年・天正3年)後に弱体した武田軍に対して、織田信長の嫡男である信忠が岩村城を攻める。助命を約束した織田信長であったが、開城後、秋山虎繁・おつやの方を含めて家族を処刑。
その後、織田信長の黒母衣衆の筆頭であり、嫡男信忠の補佐役であった河尻秀隆が城主となり、現在の城址のような形に改築。
河尻秀隆が1582年(天正10年)に甲府に移ると、団忠正が城主となるが信長死後に森長可が引き継ぐ形で入城。長可の後嗣である森忠政の家臣「各務元正」によって城郭を17年がかりで整備。
まさしく、「元亀・天正の頃」の話ですね。
森忠政が1599年(慶長4年)に松代(長野県)へ移封になると、田丸直昌があらたに城主に。
翌年の関ヶ原の戦いで大阪方についていた田丸直昌は戦後、改易され、松平家乗が城主となった。
松平家乗は1601年(慶長6年)に城主居館を麓に移して岩村城下町の整備にあたる。
江戸時代以降は1645年(正保2年)に松平氏に代わり丹羽氏信が、さらには1702年(元禄15年)に松平乗紀が城主となります。特に松平乗紀は藩校である文武所(知新館)を開設し、岩村の教育振興に努めた名君であったと伝えられています。

 以上のように岩村城は鎌倉、南北朝、室町、戦国、安土桃山、戦国、江戸期の700年間という長い歴史を持つ城。
岩村城の特徴として、標高721mで、日本の山城では最高地にあるというのが特徴の一つ。
もう一つの重要な特徴は石積み。石積みの方法は主として以下の3つの方法があり、
1. 野面積(のづらづみ)・・・中世後期~戦国期
 自然石をそのまま積み上げる方法
2. 打込接(うちこみはぎ)・・戦国期~関ヶ原の戦い以後
 表面に出る石の角や面をたたき、平たくし石同士の接合面に隙間を減らして積み上げる方法
3. 切込接(きりこみはぎ)・・江戸期以降
 整形した石材を密着させ、積み上げる方法。
岩村城では上記の積み方を「埋門」の場所で一度に見ることができます。700,年間の歴史ある城であることが良くわかりますね。
↓ 埋門 野面積と切込接

 

 それでは実際に訪れた順番で画像とともに紹介。
まずは登城口。

ここから城に登るのがルート。でも雨が降りそうだし、家族連れなので自動車で上ることに。岩村城下町から国道418号線を少々登ると案内看板があります。その場所で岩村城址方面へ左折。

◇左折場所

 自動車がすれ違いできない幅員の急登道を城址へ向かう。途中、2台の車と出会うが相手側が道を譲ってくれそうになかったので、2回とも車を10mほどバックしてなんとかすれ違う。
道路の最上部は出丸駐車場。こちらに車を停めて城址最上部を巡る。

↓ 上部からの景色

↓ 出丸から本丸を見上げる

  出丸付近の風景 ↑ 

↓ 本丸 埋門跡

↓ 本丸 

↓ 本丸の昇龍の井戸

↓ 東曲輪跡

↓ 本丸 長局埋門

↓ 六段壁(本丸虎口の石垣)

↓ 帯曲輪跡方面

↓ 本丸下

 もともとの壁は六段ではなく、上部に積まれた城壁がくずれ落ちるのを防止するために手前に石垣を積んだら最後は6段になったという。

立派な再建天守よりも、建物は残っていないが往時を偲ぶことができる山城跡に惹かれるようになったのも、城好きになった妻のおかげですね。感謝。

散策途中、空から白い塊が。「霰」と「雹」ですね。
「雹(ひょう)」は、雲から降る直径5mm以上の氷塊で、霰(あられ)」は、雲から降る直径5mm未満の氷粒。ちなみに「霙(みぞれ)」は、雨まじりに降る雪、または解けかかって降る雪。

 

・岩村城登城口城跡公園。岩村歴史資料館訪問記へ続く
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岩村城跡 地図
岐阜県恵那市岩村町 岩村町城山
岩村城の規模
標高717m(本丸・最高所)
城囲い1,255m(但し一の門内)
山回り3,700m
縄張り本丸・二の丸・出丸・東曲輪・八幡曲輪・帯曲輪・藩主邸等
石垣場所31ケ所(1,700m)
矢の倉(櫓)11ケ所(三重1,二重9,一重1)
多門大小8ケ所
門大小17ケ所
塀43ケ所
狭間680ケ所(矢・鉄砲狭間)
城内屋舗10ケ所(藩主邸は別)

(画像はすべてクリックで拡大表示:AMPサイトを除く)

 

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