gtag('config', ''); ナゴヤ球場(ナゴヤドームではなく)へ行く。といっても中には入っていないと山本昌の完封のことや食彩賓館のルーツのこと | 食彩品館.jp

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<ちょっと追記しました>ナゴヤ球場(ナゴヤドームではなく)へ行く。といっても中には入っていないと山本昌の完封のことや食彩賓館のルーツのこと

002時事・意見|2010/09/05 posted.
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ナゴヤ球場へ10年ぶりだろうか、行ってみた。
愛知県名古屋市中川区露橋二丁目
20100814
大きく改装されて昔の面影はほとんど残っていない。スコアボード付近がそういえばあんな感じだったというぐらいか。
若い人にとっては「ナゴヤドーム」が普通だろうが、食彩賓館のような中年にとってはナゴヤ球場、というよりは中日球場(中日スタヂアム)と言った方が馴染みがある。
外から眺めただけだが、改築されてから初めて行った。

ざっと歴史を振り返る
・1948/12/1中日スタヂアム(収容23,000人。木造)
・1951/1月球場経営のための「㈱中日スタヂ゙アム」設立。
・1951/8/19対 巨人戦中に火事発生
・1952/4/5新スタンド完成(鉄筋コンクリート)
・1953/6/20照明設備完成→1963年カクテル光線化。
・1973年4月電光掲示板設置。
・1974年中日20年ぶりの優勝。「燃えよドラゴンズ」ヒット。
・1975年㈱ナゴヤ球場設立。球場名を「ナゴヤ球場」に変更。
・1987年内野スタンド改装増築。
・1987年8月9日近藤真一が初登板でノーヒットノーラン。【観戦】
・1994年10月8日 10.8決戦。
・1997年一軍の試合開催がナゴヤドームに移る。

食彩賓館が中日球場に初めて訪れたのは。対巨人戦で席はセンター後方の少しドラゴンズ寄りの外野席。
小学生だった頃、弟と二人でオープン戦を見に行ったこともあったっけ。初優勝の1974年の時、同級生ともみくちゃになって当日券を買い求めてなんとかライト側最上段で観戦した本拠地最終戦。
その後、ちょくちょく行くことはあったが、本格的に通いだしたのは1987年前後からの数年間。外野スタンドの応援団付近で応援。当時、最初に中日球場へ連れて行ってもらった亡父を逆に連れて行ったのが良い思い出となっている。巨人ファンの父と妻がレフト側で、中日ファンの私と母がライト側に別れて観戦なんてこともあった。
いろいろな観戦で一番、記憶に残っているのは、やはり近藤真一のノーヒットノーラン。達成時の外野席の盛り上がりはすごかったなあ。

今でも時々、ナゴヤドームには行くけど外野席へ行くことはなくなった。ゆっくりと観戦したいからね。野球を見るのなら球場よりも自宅のテレビが一番。球場は雰囲気を味わうところだと思っています。
●野球に関する記事
・2009/02/05ドラゴンズファンクラブグッズ届く
・2010/10/25クライマックスシリーズ観戦
******************
以下追記:
2010年9月4日45歳の山本昌が巨人戦に見事完封勝ち。最年長完封記録を樹立しました。でも全国ニュースでは扱いが小さい。中日スポーツはもちろん、中日新聞朝刊でも1面記事で取り上げているのに・・・。
「評価の基準」大事だよなあ。

2008/08/06継続は力なり(山本昌200勝)
という記事を書いてあったのを突然思い出した。この記事はなかなか思いいれがある。今でも読み返すと、いろいろなことが蘇ってきて・・・。
球団記録の211勝へもあと2勝と迫っている。もう少しだけ現役を続けてほしい。

「誰か(自分の大事な人)に見られている」という意識はとても大事だと思う。
2008/05/21教育者について思う
 (食彩賓館の仕事のルーツ)
2008/06/06山のこと。小西政継とマッターホルン
 (食彩賓館の趣味のルーツ)

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