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教育者について思う

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 昔話で恐縮です。
 社会人になるということは辛いことです。今まで自由に、自分の好きなことをしていたのに、入社を境にまったく違う環境に組み込まれてしまう。しかも自分のやりたいことなんか無視されて、入社6ヵ月後、研修期間を終えてから「今日からあなたはこの仕事をしなさい」と誰が決めたか知らないけど辞令をいただく。
 私の最初の配属先はGMSの精肉売場でした。最初、与えられた仕事は「鶏肉の袋をやぶって、パートさんがトレーに詰め易いようにカゴに移し変える仕事」。土日の繁忙期はこれを半日ずっとします。
 次に与えられた仕事は「店で対面販売する」。一日中、焼肉を試食してもらいながら販売します。
当時、流行していたハンギングテンダー、「牛ソフト焼肉」という名称。サガリともいいます。ここで、私は当時のチーフから「販売者であること」を徹底的に仕込まれました。
「今日、売った金額は?」「仕入れた数量と金額は?」「いくら儲かった?」「どれだけ試食を出した?」「明日はどれくらい発注する?」「お客さんの評価は?」「明日は何時ごろがピーク?」。矢継ぎ早の質問に次々と答えなくてはいけません。毎日、閉店後の掃除が終わったあと、私以外の先輩職員を含めてミーティングをします。早朝・深夜残業、休日出勤で体はフラフラ、頭はボ~としながら質問に答えていました。
  配属後、二ヶ月経ったころ、研修の話がありました。場所は関東にある研修機関。ある会社が次世代の精肉業界を担う人材を育てるために作った専門学校です。研修期間は住み込みで6ヵ月。
当時の私の職場(精肉売場)には私を含めて従業員の男性が6名いましたが、私以外は全員、そこで研修を受けていました。
 「今の苦しい仕事から逃れたい」だけの動機で研修派遣を承諾しました。
「なぜ 精肉売場に配属されたのか」「この仕事は私のやりたかった仕事なのか」「これを一生続けていくのか」そんな疑問を持ちはじめた時期でした。入学金、その間の給料を含めて会社は数百万円の支出です。その割には、なんの事前研修もなく、送り出されました。先輩からは「髪の毛が長いとその場で床屋へ行かされるぞ。五分刈にしろ」と教えられた私は、坊主頭で関東へ。

 緊張の入学前の面接。教えられた通り、坊主頭にした私を面接官である校長先生はじっと見つめました。何事かを考えている様子。
突然、「君はkentnkくんか」と大きな声で言いました。私の家族構成、生年月日、血液型、学歴。なんの資料も見ずにスラスラと話し出しました。最後に「髪の毛が短くなったのでわからなかった」と言われました。
 あとで知ったのですが、校長先生は毎期(一年2回)の新入生100名以上の名前とか個人のプロフィールを入学資料の顔写真と一緒に、事前に暗記されているそうです。入学前の面接の場は書類と実物を確認する場だったのです。しかも髪の毛を坊主にしてきた人はいなかった。刈り上げる程度でよかったんです。先輩にだまされたおかげで、校長先生に特別な印象を残せたようでした。

 学校生活は苦痛でしたが、職場での過酷な労働をしていた私には天国でした。
でも、毎朝、決められた時間に起床して就寝。合図とともに起きて、行動し、そして寝る。外出できるのは日曜日だけ。時間管理が徹底していました。旧陸軍中野学校卒業生である校長先生がそこの教育方法を取り入れたと聞いています。自由、きままな生活をしている学生時代の気分を切り替えるには、大変効果のある研修でした。
授業は午前中が実習。羊とか豚とか鶏とか牛とかの解体です。
実習では「操作分析」という手法を学びます。、工程をことこまかに分割して、技術がなくとも素人でも畜肉の解体ができる仕組みを学びます。
午後からは教室に入って講義を受けます。
それこそ、大学以上の密度の濃い経済学の講義だったり、POPの書き方だったり、掃除を科学的に説明するなんて授業もありました。同級生には国立大学や難関私立大学の出身者から、高校卒業して家業を継ぐ為に研修を受けている人など、出身母体も含めて年齢もまちまちでした。出身母体は全国のスーパー・生協・百貨店・卸などさまざまです。
 特に当時、大手の流通企業から派遣された人たちは優秀でした。企業内で選抜試験があるそうです。
「仕事の苦しみから逃れたい」と思った私とは大違い。 

 部屋は6名相部屋。同室の人たちから「精肉部門の重要さ」「この学校に派遣された意義」などを教えてもらいました。つい先ごろも、MR中に同級生とばったり。2,000億円企業の役員になっていました。
 
 前置きが長くなりましたが、今日のテーマはこの学校の校長先生のことです。
 「私のことを知ってくれている」「私を見てくれている」「私のことを大事に思ってくれている」という感覚。
生まれて初めてでした。一言も聞き漏らすまい。小・中・高・大学と一度も経験したことのない緊張感。
そういう授業でした。私だけでなく、100名以上の学生が授業に集中しています。
 
 そうこうするうちに校長先生が授業に出てこなくなりました。理由は「出張中」。授業よりも大事な仕事があるのだろうかと疑問に思っていました。
ある日、突然。先生方より「校長先生が亡くなった」という話がありました。心配させまいとした校長先生は入院闘病を「出張中」としていたようです。
先生から「病気で立つのもやっとの状態で授業を続けられていたが、とうとう無理がたたって入院され、昨日亡くなられた」という話を聞き、あのときの鬼気迫る授業は死を賭していたのか。と。
 
 葬儀は真冬の寒い中、業界内の有名無名な人々が集まり執り行われました。

 自分が部下を持った時に このような人になれるのだろうかと思った27年前でした。

 でも、私の能力では「自分は一生懸命なのに周りは冷めたまま」や「部下も一緒に熱くなってくれていると思っていたのに、上司である私にお付き合いしてくれていただけ」「自分のために部下を教育・指導している」ということが多かったように反省しています。
特に、若くして部長に昇格して、会社の中枢部署を歴任し、次期役員にも・・という時期は最悪な上司でした。

 自分がそのような器(校長先生のような教育者)でないと知ったのは悲しいことでしたが、違うアプローチがあるんじゃないかということで昨年コーチングの勉強をちょっこっとしました。

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