食彩品館.jp

不遇な時代の過ごし方

002時事・意見|2008/07/03 posted.

 今から20年近く前、30代前半の頃、突然異動を命じられました。
自分の意見を持ち、主張もする私を当時の上司は「鼻持ちならないヤツ」と思ったのでしょう。当時は本当に自信満々で自分が一番正しいと思っていました。また、私の代わりに今以上の仕事ができるヤツなんかいないとも思っていました。
でも、代わりなんていくらでもいます。人事を決めるのは上司だということをあらためて思い知らされました。
 異動した先は新設の部署でした。今でいうスーパーバイザーみたいな仕事ですが、実際にはチーフが休んだ時に、その店に行って作業をするのが主な仕事でした。
 ある日、懇意にしていた取引先の担当が新任バイヤーと一緒に店に来ました。以前のように話し掛けようとしたら、その担当は、困惑した表情でちょっと頭を下げただけで、すぐに新任のバイヤーの後を追いかけるように行ってしまいました。
ショックでした。あんなに私に対して従順だった取引先の担当が無視するなんて。
 私は勘違いしていました。自分が立派な「実力バイヤー」なので、取引先の担当も一目置いてくれている、従順に接してくれていると思っていたんです。
取引先は「私に」ではなく、「私の仕入担当という仕事」に対して頭を下げていたのです。
そして追い討ちをかけるように、その取引先の担当が「○○は飛ばされた」と言っていることも知りました。
 中元・お歳暮も届かなくなりました。年賀状もこない。部門チーフ会議では今まで、自分が上席に座っていろいろと訓示をたれていたのに、今はチーフ会議に出ても一番の末席です。発言しようとすると周りが「やめておけ」という目で見ます。
ようやく自分がバイヤー時代に周りからどのような目で見られていたかを知りました。
本当にイヤなヤツ、鼻持ちならないヤツだと思っていたのは上司だけではなかったのです。
 悶々とする日が2年ほど過ぎようとしていました。店舗のバックヤードにパーテーションを仕切っただけの事務所で夜遅くまで、データ分析していたら、担当役員が通りかかりました。
 「こんな暗くて寒いところで作業しているのか。ところで何をしているんだ?」
私は店別のPOSデータを分析しながら、店舗ごとの強いところ、弱いところを見つけて、強いところはなぜ強いのか、弱いところはなぜ弱いのかを分析している最中でした。
弱い理由と強い理由がわかれば、強い店のやり方を弱い店で実行するだけで改善される。
というあたりまえの話ですが、それを「数値で説明する」ということに担当役員は興味を持ったようです。
 次の日、施設の担当がやってきて、私の部署の事務机周りの環境を整備してくれました。
簡易の壁を作って、照明も追加して、冷暖房装置も設置してくれました。
震えながら暗いところで仕事している私をかわいそうに思ってくれたのかなとか思っていました。
 しばらくすると私は呼び出されて、新たな仕事を与えられました。店舗の抜本的改善をするタスクフォースの事務局の仕事です。この事務局の仕事で自分は数値分析をするのが得意であることを知りました。また、店舗経営に必要な数値や係数などの勉強も出来ました。
 一年間タスクフォースの事務局の仕事をして、不振店舗の改善に取り組みましたが、結果は成功とも失敗ともいえない微妙な効果しか出せませんでした。それでも、このタスクフォースのチームで仕事をすることによって部署間、部門間の調整の仕方も経験できました。
 そして私は昇格と元のバイヤーの職へ戻る辞令をもらいました。
 バイヤーに戻った私は、あの取引先の担当者があいそ笑いをしながら挨拶に来たときも普通に接することが出来ました。彼には彼の立場があることも理解できるようになっていました。
 不遇の時代は人を育てます。頑張っていたら必ず、誰かが見てくれています。私は大変良い経験を比較的若いうちにすることができて幸せでした。

 後日談があります。やっぱり数年間、バイヤーをすると元のイヤなヤツに戻ってしまいました。こればっかりは性格ですかね。それともバイヤーという立場がそうさせるんでしょうか。やっぱ私の性格なんでしょうね。
 今度は店長として異動することになりました。あのタスクフォースで経験したことを活かすことができる職場。
私は喜んで異動の内示を受けました。それも、もう8年も前の話です。