木曽馬の里(長野県木曽町開田高原)で日本在来馬に触れる。ソラノクツ、とーねんこ、ブルーベリー園コナラの木、御嶽山
この記事の前に、何故、開田高原に来たのかという前ふり記事があります。未読の場合は一読の上、下記記事にお進みください。
この記事は
『開田高原へ「今採れとうもろこし」と「現地素材の蕎麦」を食す旅』
のシリーズ記事の中の記事。この記事の前に、何故、開田高原に来たのかという前ふり記事があります。未読の場合は一読の上、下記記事にお進みください。
・2015/08/28木曽馬の里(長野県)
・2015/08/27ファーマーズマーケット彩菜館(長野県)
・2015/08/26開田高原アイスクリーム工房(長野県)
・2015/08/25道の駅 木曽福島(長野県木曽町)ミニコーン,すんき漬、他
・2015/08/20マルトシ生鮮食品館 木曽須原店(大桑村)訪問記
開田高原(長野県木曽町)で蕎麦を食す前にせっかくなので観光でもということで木曽馬の里へ。ご存知、日本在来馬。
かっては数千頭の木曽馬が飼育されていたようですが、現在は日本で約160頭。そのうち約60頭が開田高原及び木曽郡周辺で飼育されているとか。
◆木曽馬覚書
・日本在来馬は「道産子、野間馬、対州馬、御崎馬、トカラ馬、宮古馬、与那国馬そして木曽馬」の8種。
・木曽馬は体高約135㎝前後で道産子と同じ中型馬に属す。
・下顎が発達し額が広い丸みのある顔
・前髪、鬣が長く密集。胴長短足、腹が大きい。後肢がX脚で坂道・山道が得意。
・気性が優しい。飼い主の従順。
古くは木曽義仲挙兵の折りの優駿馬の誉れにより、戦国時代を通じて木曽は名馬の産地として全国に知られていました。
農耕馬としての需要もあったのですが、明治末期から太平洋戦争期には軍馬としての需要に応えるべく西洋馬との混血改良が実施されたため、純粋な木曽馬は激減する事態に。
しかしながら少数の木曽馬生産者が外国種や雑種による交配を拒否し、密かに純系種を維持していたおかげで現在の木曽馬復興につながっています。
元々、木曽馬は婦女子が世話をするのが木曽周辺では普通で、体格が大きくなると世話が大変なだけでなく、気性も荒くなり、飼料も増え、荷駄の積み上げにも難渋するなど、改良の利点を生産者が見出すことはなかったのが純系種の保存につながったようです。
最後の純粋種と言われる「第三春山号」(1951年 – 1975年)は木曽馬の血統の復元に貢献し、死後も学問に貢献すべく名古屋大学に研究用標本として保管されているようです。
食彩品館.jpは野菜であれ、植物であれ、動物であれ『在来種』という言葉に弱い。大切にしていたたせきたいと思います。
白樺のある牧地で伸びやかに闊歩する木曽馬を見ていると心が癒されます。純粋種を維持・発展させようとする保存会の皆様の努力には頭が下がります。
大変良い体験をさせていただきました。ありがとう木曽馬。
売店で馬蹄型の“ソラノクツ”クッキーを記念購入。店名の“とーねんこ”は当年(春)生まれの仔馬のこと。