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大正生まれの母の「不幸の連鎖」。第一話「事故。緊急搬送。大腿骨頸部骨折」

この記事はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

★この記事は第一話~第七話があります

2017/04/05第一話「事故。緊急搬送。大腿骨頸部骨折」
2017/04/06第二話「93歳の決心」
2017/04/07第三話「93歳の手術」
2017/04/10第四話「術後せん妄」
2017/04/11第五話「せん妄から回復」
2017/04/12第六話「リハビリと病院への宣言」
2017/08/03第七話「リハビリの結果と退院」

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 差し出されたビニールスリッパを見てなんのことかわからずとりあえず受け取った。
看護師さんが言うには「○○クリニックで借りてきたらしいので返してきてほしい」。
何故、母はこのビニールサンダルを履いていたのか。
真冬に、雪が降っている最中にビニールサンダルで街中を歩く人ではない。
つい先日もリハビリシューズを見せてくれて「これは履きやすくて歩きやすい」と説明してくれたばかりだった。
そんなことよりもこの状況を理解できないでただうろたえている私に、母は震えながら「来るのが遅かったので事故でもあったのかと心配していた」という。
「痛いか?」と聞く。「動かすと痛い」という。
医者から説明を受ける。
「大腿骨頸部骨折」
レントゲンを見る。はっきりと骨折を確認できた。
手術のリスクやその後のリハビリのこと。そして認知症の心配について。
大正生まれの母は「もう死んでしまいたい」と嘆く。
慰める言葉を見つけることができない私は、ただ肩のあたりを擦って「大丈夫だよ」と言うしかない。
この状況は母が一番、心配していたことで、「こうなってはいけない」という思い描いていた最悪の状況。そうならないためにカルシウムを積極的にとり、そして怪我をしないように慎重に生活していたのに。
嘆く母に私は何も聞けなかった。聞くと結果を責めているように思われないか心配だった。
 
 弟から昼過ぎに電話があった。母が怪我をして救急車で搬送されているという。弟は毎月定期的に母のもとを訪れてくれているが、今日はどうしても外せない仕事があり、代わりに私に行ってくれないかという連絡だった。
何故、救急車に乗っているのか、何故、救急隊員から連絡があったのか。良くわからないまま、搬送予定の病院に連絡を入れる。まだ到着していないことを確認して後から電話することを伝えた。
幸いなことに救急隊員に電話がつながり、意識がはっきりしていることと足に痛みを感じていることがわかった。電話は母から頼まれたらしい。緊急連絡先の電話番号をすぐに依頼できるようにしていた。母らしいと思った。
すぐに会社を離れ、自宅に向かい自分の着替えを持って母の元へ向かった。
途中、病院と連絡が取れ、大腿骨を骨折していることと、怪我の状態を説明したい等々のやりとりの後、到着までどの位かかりますかと聞かれた。
「・・・3時間程・・・」。
昔は7時間かかったが、今は高速道路のおかげで3時間で着く。でも遠い。

 途中、仕事の電話が入り、PAで15分程ロスをする。心配しているであろう弟に「意識がはっきりしているが大腿骨を骨折している」と伝えた。
「よろしくお願いします」と敬語を使う弟の心中を思う。

 到着時はすでに暗くなりかけていた。時間外の出入口から入り、ナースステーションで場所を確認する。
そして、冒頭の「ビニールスリッパ」の話を知らされる。
すでに母は着替えさせてもらっていたが、動かすとしきりに痛いと苦しがる。喉が乾くのかさかんにお茶を求める。
医者から呼ばれて診断と今後の治療方針の説明を受ける。
手術の承諾書は水曜日に、手術は金曜日にというスケジュールが提案された。
過疎というか高齢者が多い地域のため「大腿骨頸部骨折」の事例は多いらしい。高齢であるため手術のリスクも高まるが、それよりもリハビリが課題だという。筋力と気力。そして何よりも怖いのは認知症の悪化。幸いなことに90歳を越えた今でも認知症は発症していないようだが、手術が成功しても認知症のためリハビリができないということもあると説明を受けた。
リハビリ施設が付属しているため治療後のリハビリも入院中に受けることができる反面、認知症を発症したり、本人がリハビリを固辞した場合は退院しなければならない。
治療とリハビリで3ケ月。リハビリができなければ1ケ月で退院することになる。退院後のことを思うとできるだけ長く、そしてできるだけ体を動かせるようになって欲しい。

 手術を嫌がるかと思ったが、動かすと傷が痛むため逆に早く手術をして骨折の痛みを緩和したいと思ったのか、あるいはこのままだと寝たきりの生活になると言われたのがショックだったのか、母は手術に同意した。
 弟と連絡を取り、入院にまつわるさまざまな手続きを済ませたことと、実家に戻って常備のクスリも持ってきたことを伝えた。
ICUなので午後9時には消灯になってしまう。その日は母を一人残して病院を出て誰も待っていない実家に戻った。
 布団が敷かれたままの枕元の近くに大きなバッグがあるのを見つけた。中にはパジャマや着替えが入っていた。何かの時のために普段から入院セットを用意していたようだ。
仏壇の父に経緯を説明し、弟と二人でなんとかすることを報告した。
寡黙だった父は何も言ってくれないが写真は笑みを浮かべていた。

    (第二話へ続く)

2017/04/06第二話「93歳の決心」

※この記事はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

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