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大正生まれの母の「不幸の連鎖」。第三話「93歳の手術」

※この記事はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

★この記事は第一話~第七話があります

2017/04/05第一話「事故。緊急搬送。大腿骨頸部骨折」
2017/04/06第二話「93歳の決心」
2017/04/07第三話「93歳の手術」
2017/04/10第四話「術後せん妄」
2017/04/11第五話「せん妄から回復」
2017/04/12第六話「リハビリと病院への宣言」
2017/08/03第七話「リハビリの結果と退院」

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 小さい頃から母の傍を離れない母親べったりの弟は翌日から1週間、会社を休んで病院に泊まり込んで看病というか見守りをした。眠る母の眼が覚めた時に“ここにいるよ”と伝えるだけのために。入院中に母が認知症を防止するにはこういった身内の配慮が大事だと病院の方に教わったらしい。
途中、疲れているだろうから交代すると言ったが頑として受け付けない。

 手術の日がきた。会社を休んで駆け付けた私を待っていた母は遺言を語りだした。「葬式は質素に」「親戚には知らせなくても良い」「家族だけで」。
隣で聞いていた弟が「大切なことは兄貴に言う」と苦笑していた。
弟が言うには、昨晩父がやってきて母を励ますために得意の演歌を歌い、そして痛い方の足を摩ったという。もちろん母が語ったことだが、弟が言うには「おかげて(母は)落ち着いた」らしい。
10年前に亡くなった父が私たち兄弟と母を助けてくれている。
母が私に新たな指示を出した。「爺さんの歌を録音したテープをいつでも聴けるようにしておけ」。
ああ。生きようとする、元の生活に戻ろうとする母の意思を聞けた。

 手術は無事終わった。
手術室から戻った母は術前と比べて生き生きとしていた。
「ジーンジーンと鋸のような音。そしてコンコン、コンコンと金槌でクギを叩くような音がした。まるで家を建てているような」
大腿骨を除去し金属を入れる手術だった。
「足が動く」と嬉しそうに語る母。心配していたけど予想以上に楽だったという。
この手術に耐えた大正生まれの93歳を誇りに思う。

 翌日は苦痛の母を見ることになる。麻酔が切れたのかしきりに痛がる。高熱も出す。
弟の子供が見舞いにかけつけて来てくれた。私たち兄弟の父、すなわち彼にとっての祖父に一番懐いていた。もちろん祖母にも。成人した今でもかわいがってくれた恩を忘れていない。
その最愛の孫を見ても母は痛みのため唸っている。孫にお茶を飲ませてもらって励ましてもらっても母は痛みに耐えかねて唸っている。
べッドの脇には私の子供達から送られたメッセージ付きの写真を飾ってある。「ガンバレ」と書いたボードを手にもって応援してくれている写真。

 この痛みを乗り越えても、その後に過酷なリハビリが待っている。
母は私を呼び、遺言を語りだした。「葬式は質素に」「親戚には知らせなくても良い」「家族だけで」。
できるだけ傍にいたいという弟に後を頼んで、再び家路につく。

 「変化点だけ連絡する」ということだったが、弟から「リハビリは無理かも」「最悪(寝たきり)のケースで準備しておかなくちゃ」という気弱な連絡が入る。普段、能天気な弟から送られてくる深刻な情報に戸惑いながら、なるようにしかならないと腹をくくる。

 リハビリが始まった。
弟から連絡がきた。「リハビリの先生が優しくて母が喜んでいる」。
弟の喜びが伝わってきた。明日は兄貴に立ち会ってほしいという。
もしかしたら奇跡がと思うようになった。
明日は好物の茶粥をもって病院に行こう。喜ぶだろうなぁ。

                  (第四話に続く)
第四話。「術後せん妄」

※この記事はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

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