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南方熊楠記念館訪問記「生誕150年」、「猫楠(水木しげる著)」。エコロジー,粘菌,南方曼荼羅(マンダラ),神島と鳥ノ巣泥岩岩脈(和歌山県田辺市)。京都大学白浜水族館、円月島(和歌山県西牟婁郡白浜町)【大辺路~中辺路2017年春の旅その8】

  ようやく訪れることができました。
2009年の白浜行ではあいにく休館日ということで南方熊楠顕彰館だけを訪問。その後、数回ほど白浜を通過するも、なかなか記念館へ寄ることができず、今回の新館オープンの報道に接し、是非ともということで近隣の観光を含めて前日に思いつき計画立案。
当初は熊野・新宮から中辺路ルートで記念館に寄り、そのまま和歌山市方面宿泊。翌日は西国巡礼後、阪和自動車道~名阪自動車道で帰宅というルートを計画していたが、せっかくの白浜行、尚且つ一人旅なので白浜の温泉巡りや美味しいものを味わいたいということで、白浜を主目的にして、今回は熊野・新宮から大辺路ルートで串本~すさみ、そして白浜に入るルート選択しました。

 宿泊はできるだけ安く、でもリゾートホテル風な快適な施設ということで南部ロイヤルホテルへ宿泊。

翌日は記念館訪問の前に熊楠ゆかりの「神島と鳥ノ巣泥岩岩脈(和歌山県田辺市)」へ。

神島(かしま)
森林保全のため上陸禁止
神島(かしま)は、「おやま」と「こやま」の2島からなる3haの小島です。島をおおっている照葉樹林に神が住むと信じられ、古くから神の島として崇められてきました。
生物学上、貴重とされる珍しい植物が繁茂していたことから、世界的に有名な博物学者「南方熊楠」も生物の宝庫としてこよなく愛し、また、国の天然記念物にも指定されました。
↓ 雨にけぶる神島。鳥の巣より撮影。

 ↓ 南方熊楠記念館より神島方面

 1929年には昭和天皇が神島にお越しになり、南方熊楠が、島を案内し、粘菌や海中生物について標本を見せながら説明をしました。
その後、天皇は「雨にけぶる神島を見て、紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ」という歌を詠まれました。昭和天皇が詠まれた歌の中で個人名が出てくる歌は、大変少ないということですから、いかに神島と南方熊楠のことが印象に残ったかが伺えます。
神島には南方熊楠の句碑が建立されているそうです。
 「一枝もこゝろして吹け沖つ風 わか天皇のめてましゝ森そ」

鳥ノ巣泥岩岩脈
田辺湾に突き出た小半島で、その沿岸一帯に泥岩岩脈(砕宵岩脈ともいう)が見られます。干潮の時、約1.5kmもの岩脈が走ります。これは地層に地殻変動 により割れ目が生じ、液状化した泥岩層が吹き出して固まったものです。地質学上貴重なもので、国の天然記念物に指定されています

 

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 さあ、いよいよ念願の記念館へ。
↓ 新館オープン紹介記事はこちら↓
2017/03/19南方熊楠記念館新館(和歌山県田辺市)
 前回(2009年)は入口で引き返した記念館ですが、前日、白浜到着が夕方になってしまい、記念館訪問を翌日に変更したため、開館時間直後の到着ながら、番所山の上の記念館前駐車場は開門済み。
道が狭いため、信号で車の通行を制限しているのですが、これが結構、長い。

残り秒数表示を数分間眺めながら待機しているが、当然、上から降りてくる車はいない。

  4月上旬の土曜日。あいにくの雨。桜も散りはじめているということで、観光客は少ない。おかげでじっくり&ゆっくり、そして最近の人気観光地では贅沢な望みとなった感のある『静かに』鑑賞することができました。
 粘菌をはじめとする隠花植物の日本における初期研究の大家であるだけでなく、世界的な博物者である和歌山の巨人「南方熊楠」に関する施設は田辺市に「顕彰感」があり、白浜町に今回、訪れた「記念館」があります。全体像を知るには、まず記念館を訪れ、その後、南方熊楠の住まいの隣に建築され、かっての日常を展示している顕彰館を訪れるのが良いかと思われます。
↓ 顕彰館(田辺市)

 ↓ 顕彰館にあった変形菌

2009/08/19和歌山県南方熊楠顕彰館訪問記

 

 さて、記念館。急な坂を登って駐車した場所から記念館方面へ歩きます。


南国紀州らしい植物を眺めながら少し歩くと記念館直下の階段に到着。

 

「蟹が散歩中」という看板。

  旧来の本館に隣接して新たに建築された新館側から入場するわけですが、入口の前に前述の昭和天皇謹製の句碑が建てられています。句碑は神島方面を背景に建てられていて在野の博物学・生態学・民俗学の権威であり、日本における“生態学ecology”や自然保護活動の先駆でもあった南方熊楠を広く世に知らしめた記念の句です。

 「雨にけふる神島を見て 紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ」昭和天皇謹製

 (画像はすべてクリックで拡大表示)

 1929年(昭和4年)に 昭和天皇が望まれて南方熊楠の講義を田辺湾神島沖に停泊した戦艦長門で受けられたました。その時に送られた粘菌の標本とそれを入れていたキャラメルの箱のことを良き思い出として記憶され、33年経過した後の1962年(昭和37年)田辺市再行幸時に「雨にけふる・・・」の句を詠まれたそうです。
熊楠が明治政府の神社合祀による自然破壊に反対し、率先して行動をおこし、保護活動を行なった「神島(かしま)」は1935年(昭和10年)に国の天然記念物に指定されるに至ります。現在、入島を制限されている神島に南方熊楠の自詠自筆の記念碑が建立されたのは昭和天皇行幸の翌年、1930年(昭和5年)でした。
 「一枝もこゝろして吹け沖つ風 わか天皇のめてましゝ森そ」(南方熊楠)
熊楠の自然保護活動の勝利宣言のように思えますね。

 当日はその神島を記念館訪問前に訪れました。
まさに「雨にけふる神島」をこの眼で確認することができ、記念館訪問前に気分上々。そして記念館前の「雨にけふる神島・・・」の句碑。感無量です。

 

  私が熊楠を畏敬するのは「ネイチャー誌に投稿掲載数51論文」という大学者でありながら、生涯を在野で過ごしたという点。そしてエコロジー活動の先駆であったこと。
奇抜な行動や酒の上での喧嘩など、豪放磊落な雰囲気を持つが、その研究と思想体系は緻密であり、特に「観察」と「標本・記録」については研究史に大きな足跡を残しています。
<参考>粘菌の変化(1991年)
一晩でアメーバからキノコに変化

↑ 南方熊楠展図録(1991年)より↓
 

 そういった研究やら生涯にわたる活躍を紹介している記念館ですが、私が一番、感動したのは実際に粘菌類を見学者が確認体験できること。
粘菌や変形菌が葉っぱの裏についていたりして、自然とともに存在することを実際に顕微鏡を眺めたりすることでその存在を確認することができます。熊楠によって発見された粘菌は178種であり、それまでは36種しか記録されてなかったことを思うと、熊楠の発見が学問に大いに貢献していることは容易に想像でき、尚且つそれを追体験することができる良い展示だと感心・感動。

 

 屋上からは白浜町~田辺市の景色を堪能。案内看板付。

残念だったのは私自身が南方マンダラの理解が未だに良くできていないことでしょうか。
文献を読んでは自分なりに理解しようと努めたが私程度の能力で理解するにはチト難しいようです。とはいえ、せっかくなので覚書程度に記録しておきます。

南方曼荼羅
・世の“事理”(物事の筋道)の組合せとその認識をあらわしたもの
・“事理”が交差・離反している様を線や形とその配置で表している
・多くの事理が重なる“萃点(すいてん)”という熊楠独特の世界観
・“事理”には「物不思議、心不思議、事不思議、理不思議、(大日如来の)大不思議」がある。
・中でも“大不思議”は人・物・事という認識を超えたものであり、曼荼羅の図では外にはみ出した部分で表現されている
・南方曼荼羅の根源は「(大日如来の)大不思議」である

 弘法大師空海の曼荼羅との比較についてもこれからもっと知りたいと思いつつも、来館記念に購入したのは漫画です。

 水木しげる 著『猫楠』を購入。波乱万丈・豪放磊落の人生が描かれていて「“人間”南方熊楠」を知ることができます。飼い猫である“猫楠”に狂言回しをさせ、水木しげる先生らしい表現方法で南方熊楠の研究や思想、そして人となりを描いています。

 雨にけふる神島と粘菌の実物見本が今回の旅の大きな成果でした。 そして、記念館滞在時間は今までの記念館訪問の中では最長となったことを付け加えておきます。

◇資料

 

◆南方熊楠
新・田辺市民読本「南方熊楠」より
1867年(慶応3) 4月15日(旧暦)和歌山城下橋丁に父南方弥兵衛、母すみの二男として生まれる。
1883年(明治16) 和歌山中学校(現和歌山県立桐蔭高校)卒業。
1884年(明治17) 東京大学予備門(現東大)に入学。
1886年(明治19) 大学予備門を中退、同年12月渡米。
1887年(明治20) ミシガン州立農学校へ入学。
1888年(明治21) 11月同校退学、アナーバー市に移る。この頃ミシガン州産諸菌(151種)を集める。
1891年(明治24) キューバに渡り、植物採集をつづけ、地衣新種”グアレクタ・クバナ”を発見。
1892年(明治25) 9月渡英、翌年天文学に関する論文を『ネイチャー』に寄せる。
1895年(明治28) 大英博物館の嘱託となり、東洋図書目録を編さん。
1897年(明治30)孫逸仙(孫文)と交際を深める。 博物館蔵書の抜書を継続し、全52巻に達する。
1899年(明治32) 大英博物館をはなれる。この頃『ノーツ・アンド・クエリーズ』に寄稿をはじめる。
1900年(明治33) ロンドンより帰朝、和歌山市内に居住。
1901年(明治34) 南方酒造の支店がある勝浦へ移る。
1902年(明治35) 植物採集のため、那智へ移る。
1904年(明治37) 田辺・中屋敷町多屋家の持家を借りる。
1906年(明治39) 闘けい神社宮司田村宗造四女松枝と結婚。
1907年(明治40) この頃より田辺抜書を継続、全61冊におよぶ。長男熊弥生まれる。
1909年(明治42) 神社合祀反対運動をはじめる。
1910年(明治43) 田辺・中屋敷町藤木八平の別宅へ転居。
1911年(明治44) 10月13日長女文枝生まれる。
1916年(大正5) 田辺・中屋敷町36番地に敷地約400坪の家を求め終生住む。
           自宅の柿の木で粘菌新属を発見。
1921年(大正10) 粘菌新属が”ミナカテラ”と命名される。
1922年(大正11) 南方植物研究所設立資金募集のため上京。
1926年(大正15) 『南方閑話』、『南方随筆』、『続南方随筆』刊行。イタリアのプレサドラ大僧正の菌図譜出版にさいし、名誉委員に推される。
1929年(昭和4) 6月1日紀南行幸の昭和天皇に田辺湾神島で進講。
1930年(昭和5) 6月1日神島に行幸を記念して自詠自筆の記念碑を建立する。
1935年(昭和10) 12月24日神島が国の天然記念物に指定される。
1941年(昭和16) 12月29日没。74歳で永眠。稲成村(現田辺市稲成町)の真言宗高山寺に葬られる。

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記念館の下、海岸沿いに水族館があります。

京都大学白浜水族館
京都大学フィールド科学教育研究センター
瀬戸臨海実験所の付属施設です。
和歌山県西牟婁郡白浜町459
℡0739-42-3515

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円月島はその京都大学水族館の前の浜に。
白浜のシンボル的存在の円月島。正式名称は「高嶋」。
臨海浦の南海に浮かぶ小島で、南北130m、東西35m、高さ25m。
島の中央に円月形の海蝕洞が特徴で「円月島」と呼称されている。
「和歌山県の夕日100選」に選定されているだけでなく、全国的にも有名な円月島に沈む夕陽を見るには、夏季18時30分、冬季16時30分頃を目安としているが、今回は雨天のためあきらめる。

 

 

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◇南方熊楠に関する記事
★・2017/04/27南方熊楠記念館訪問記(和歌山県白浜町)

2009/08/19南方熊楠顕彰館訪問記(田辺市)
★・2009/05/06 白浜温泉と南方熊楠のこと(西牟婁郡白浜町)
2009/08/23焼酎「南方熊楠」購入(和歌山県)
2011/06/26高山寺(京都市)と南方熊楠ポスター

 

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◇開館記念式典
 3月19日(日)13時~14時15分
◇記念講演会
 3月20日(月) 14時~16時
南方熊楠記念館 名誉館長 荒俣 宏氏
◇南方熊楠記念館主催事業
□特別展「熊野・熊楠を愛するアーティストたち」(仮称)
 日程:平成29年3月19日(日)~8月31日(木)
 会場:南方熊楠記念館
◇南方熊楠記念館と南方熊楠顕彰会との共催事業
 第11回南方熊楠ゼミナール
 日程:平成30年1月頃
 会場:国立科学博物館(東京)
◇南方熊楠顕彰会・南方熊楠翁生誕150 周年記念事業実行委員会開催事業
□シンポジウム 宇宙大の熊楠
 日程平成29 年3 月4 日(土)
 会場:明治大学 駿河台キャンパス リバティホール
□田辺市熊野短歌大会・俳句大会
 日程:平成29 年7 月1 日(土)、2日(日)
 会場:紀南文化会館 小ホール
□第9回国際変形菌類分類生態学会議
 日程:平成29 年8 月19 日(土)~22日(火)
 会場:(メイン会場)田辺市文化交流センターたなべる2 階 大会議室
 (開会式・記念講演会)紀南文化会館 小ホール
□記念式典・フォーラム
 日程:平成29 年10 月22 日(日)
 会場:紀南文化会館 大ホール
□事業名:企画展「南方熊楠展」
 日程:平成29 年12 月19 日(火)~平成30 年3 月4 日(日)
 会場:国立科学博物館
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◆新館について
・「粘菌」をイメージして曲線を活かした施設外観
・屋上は神島、白浜温泉街、太平洋を360 度パノラマで眺望
・2 階部分と屋上はそれぞれ本館とブリッジで結合
□1階
・記念館と番所山を併せて紹介できるスペース
・フィールドミュージアム番所山のビジターセンターとして入館者を迎えるピロティ及び円形状のロビー
・採光のために建物中心からつり下げられた筒状のオブジェ(ランタン)の設置
□2階
・遺品や映像等を用いて南方熊楠の生涯や研究実績を紹介する展示スペース
・観覧者の方々の読書スペース
・ 南方熊楠の幼少期~青年期
・ 南方熊楠の海外での活躍
・ 生物学者 南方熊楠
・ 民俗学者 南方熊楠
・ 研究生活と熊楠の晩年
・展示品は約800 点
◇施設概要
・延床面積 新館:555.48 ㎡
     (本館:512.65 ㎡)
・鉄筋コンクリート2 階建て
・総工費 約4 億7,500 万円
 (寄附金 32,569,612 円(H29.1.23 現在))

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◇博物館・美術館・記念館記事

2009/02/02豊田佐吉記念館(静岡県湖西市)
2009/02/08尾崎士郎記念館(愛知県吉良町)
2009/03/30落合博満記念館(和歌山県太地町)
2009/08/19和歌山県南方熊楠顕彰館訪問
2010/02/06司馬遼太郎記念館で思ったこと
2010/04/25植村直己冒険記念館(兵庫県日高)
2010/06/19本居宣長記念館(松阪市)
2010/09/25長崎原爆資料館(長崎市)
2010/09/26長崎まちなか龍馬館とれとれ旬屋
2011/02/05手塚治虫記念館「星新一特別展」
2011/03/27洪庵のたいまつ司馬遼太郎記念館再訪
2011/05/15緒方洪庵適塾から四天王寺(大阪市)
2012/06/09北淡震災記念公園(野島断層保存)
2012/08/01長良川うかいミュージアム・伝承館
2012/08/12せんぐう記念館(三重県伊勢市)
2013/02/27伊賀くみひもセンター組匠の里(三重県)
2013/04/14新美南吉記念館(通算三回目)
2013/11/29サミットスーパーマーケットミュージアム(東京世田谷)
2013/12/31苗木遠山史料館青邨記念館(岐阜県)
2014/01/02大垣市奥の細道むすびの地記念館
2014/09/01法隆寺展(愛知県岡崎市美術博物館)
2015/06/09MIZKAN MUSEUM愛称MIM(半田)
2015/08/14雷電 爲右エ門資料館(長野県東御市)
2016/02/17水木しげるロード(鳥取県境港)記念館
2016/04/04足立美術館(島根県安来市)横山大観
2016/04/28京都鉄道博物館(京都市)
2016/04/30岐阜市博物館<R>(岐阜市)
2016/05/05豊橋市美術博物館(愛知県)
2016/09/07ルノワール展(国立新美術館:東京都)
2017/02/24ゴッホとゴーギャン展(愛知県美術館)
2017/02/27本居宣長記念館(三重県松阪市)改装
2017/03/19南方熊楠記念館新館(和歌山県田辺市)
2017/03/21関ヶ原歴史民族資料館(岐阜県)再訪問記
2017/03/31マリンワールド海の中道(福岡市)
2017/04/04杉原千畝記念館(岐阜県八百津町)
2017/04/27南方熊楠記念館訪問記(和歌山県白浜町)
2017/05/18茶の湯展東京国立博物館(東京都)
2017/05/21三菱オートギャラリー(愛知県岡崎市)

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