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力王(埼玉県行田市)の足袋を購入した事を思い出した「陸王 きねや足袋のランニング足袋MUTEKI」。失われた2003年~2006年の想い出

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 失われたといっても完全に消滅したということではありません。2007年10月にパソコンが突然稼働しなくなってハードディスクに保存していたデータもろとも再び見ることができなくなりました。
MOS-DOSからwindows1.01を経て、windows95ぐらいの時にパソコンの自作を始めたのですが、ハードディスクのトラブルなんてのは何回も経験しているものの、まったく復旧ができないのは後にも先にもその時だけでした。
画像やファイル、特に仕事関係は定期的にバックアップしていたのですが、たまたま2003年~2006年のプライベートな写真のバックアックをうっかり忘れていたのです。
何回も復元ソフトて蘇らせようとしたのですが、途中で断念。今はそっとパソコンルームのサブディスクの中の保管庫に閉まってあります。
なんとなく未来の医術の進歩を願って冷凍保存化するようなフィクションの世界の話だが、いつかはハーデディスク内の画像データを自力で救出させたいと思っています。
 その失われた4年間のプライベート画像のうち、さきたま古墳群を眺めるために埼玉県行田市へ行った時のことを思い出したきっかけが「陸王」というテレビドラマでした。
ベイシア行田店とヤオコー行田藤原店へ行ったついでというか、なんというか、とにかく日付はしっかりと記録が残っています。
たまたま店舗視察した時の画像を前述のハードディスクとは違うディスクに保管していたためなんですが、その2003年の某月日に行田へ行き、そして記念品を購入したのでした。
当時は今よりも金銭的な余裕のない出張視察であったため、何を購入しょうか迷ったのですが、やはり行田に来たからには「足袋(たび)」でしょうということで購入したのが「力王の足袋」。もっとも、当時といえども生産は行田ではなく中国です。
実際に使う機会がなく、下駄箱の奥に閉まったまま、未だに未使用。下記の画像は数年前に足袋の記事を書いた時に下駄箱の奥から引っ張り出して撮影したものです。
●力王の地下足袋「力王ファイター」

足袋を止める「コハゼ」の部分が金色で尚且つ「力王」と入っています。12枚タイプ。

力王
東京都中央区日本橋3-5-11
八重洲中央ビル
℡03-3275-3311
□沿革
・1948年行田ゴム㈱設立
・1951年力王跣たび(軽量地下たび)発明
・1964年力王たび(貼縫式たび)発明
・1967年力王ゴム㈱と改称
・1973年㈱力王と改称
・1974年東京本部開設
・2015年東京都中央区日本橋を本店所在地とする会社を設立。吸収分割により事業を承継

 そんなことを思い出したのは昨晩観た「陸王」のドラマがきっかけでした。
「こはぜ屋」のモデルとなったのが「きねや足袋」。裸足感覚”を追求したランニングシューズの開発ストーリーが池井戸潤 著「陸王」として2016年に上梓されました。

 ここで思ったのが、2003年に行田市に行った時には販売されていなかったことを思いだしたのです。当時の知識としては地下足袋市場の60~70%を占める「力王(りきおう)」しか思い浮かびませんでした。
何故、力王の足袋を購入したのかというと、当時は観光地へ行くと、当地の実用有名ブランドを購入することを趣味としていたのです。例えば、築地市場へ行ったら「伊藤ウロコ印の長靴」とか!(^^)!。
↓ 2008年撮影(変色スマン)”(-“”-)”

  ということで、きねや足袋㈱の沿革を確認すると・・・・。私が行田市を訪れた2003年当時は「足袋の館」も「杵屋無敵」も無かったことがわかりました。ただし、創業は力王の前身の行田ゴムよりも20年早いので、歴史としてはきねや足袋が老舗と言えます。
貼付式のゴム底足袋は1923年発明(福岡県)で、力王の販売開始は力王跣たび(軽量地下たび)が1951年で力王たび(貼縫式たび)が1964年となっているため、今のような地下足袋の発売は力王が早いような印象ですが、詳細は不明。

また、力王の次にシェアを占める㈱丸五は1919年に岡山県倉敷市創業ですが、足袋にゴムを縫い付けた地下足袋を開発したのは1917年で、ゴム底地下足袋の販売歴史は一番古いということになっているようです。

 

きねや足袋株式会社
埼玉県行田市佐間1-28-49
℡048-556-6361
・1929年 創業
・1949年 中澤足袋有限会社設立
・1964年 ゴム底足袋製造開始
・1966年 きねや足袋㈱に社名変更
・2006年 足袋の館(見学施設)開館
・2013年 ランニング足袋 きねや無敵 を発売

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 さて、食彩品館.jpが力王の足袋を大事にしている理由ですが、この地下足袋は熊野の山奥で農業や林業を生業としていた明治生まれの祖父が履いていたのがその理由です。実際には力王ではないかも知れませんが、小さい頃に「力王(の地下足袋)は丈夫だった」と母が言っていたのを覚えています。
先祖代々受け継がれ所有する山の仕事や田畑の作業をしながら「お前は帝国大学を出て筆一本で食べていけるようになれ」と幼い頃、よく言われていたと大正生まれの母が教えてくれました。
祖父は私が小学校に入りたての頃に亡くなったのですが、幼いながらに知的で仙人のような印象の祖父を尊敬していました。
通学に自宅から小学校まで徒歩で一時間もかかるのにしょっちゅう祖父宅に遊びに行って心配した母が迎えに来てくれたり、祖母が途中まで見送ってくれたのを思い出します。
祖父も孫が30人以上いる中で「この子は見込みがある」と目にかけてくれたと、これまた母から聞かされていました。
力王の足袋を見ると、山奥に生まれなかったら世に出ていたかも知れない祖父のことを思い出すのです。

ちなみに足のサイズは祖父と同じ「十文七分 (とひち:約25.5㎝)」です。一文銭のサイズが24mmだったことから履物のサイズは“文”を基準として分けられていました。私は母から「ともひちぶ」と読むと教わったのですが、「とひち」が正式呼称のようです。

 

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