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シークワーサージャム(南風堂),小さなシーサー,首里城公園の小風呂敷。そして義祖父と叔父の沖縄。

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家人の沖縄旅行のお土産紹介も最終となりました。
★シークヮーサー「畑(はる)のらくえん」

□原材料
シークワーサー,糖類(砂糖・水飴)
ゲル化剤(ペクチン)
販売者 南風堂㈱

 南風堂は前回紹介した「雪塩ちんすこう」の製造会社です。このシークヮーサージャムでも良い仕事をされていますね。沖縄産シークヮーサー使用。
シークヮーサー(酢食わし)はミカン科ミカン属ヒラミレモン種。香酸柑橘類の仲間としてはカボス,スダチ、ダイダイ、新姫熊野特産)。名前を聞いただけで酸っぱさが伝わってくる。

★首里城公園の小風呂敷

・首里城オリジナルデザイン

★シーサーの置物
・シーサー(紫) 健康運
・シーサー(黄色) 150円

 私へは健康運を願う紫色のシーサーを、嫁いだ娘には金銭運向上の金色シーサーをお土産に選んでくれました。家人自身のためのお土産シーサーはさらに小さな150円のシーサーです。

 さて、家人の沖縄行は旅行の他に慰霊の目的がありました。家人の母は私の母同様に高齢で、自分の足でしっかりと動けるうちに沖縄へ“もう一度”行きたかったということで、家人はその慰霊の旅に同行したのです。
家人の母の親、すなわち家人にとっては祖父母なんですが、家人と結婚当初より、祖母は私にも優しくて、家人の実家に行くと、いつも私の好物の郷土料理を持ってきて食べさせてくれました。私の嫁いだ娘が生まれた時も存命で、曾孫を抱いて嬉しそうにしていたのを覚えています。
祖母の夫は沖縄で戦死したことは私も知っていましたが、詳しい事情を今回の旅行で義母が家人に詳しく話してくれたそうです。
沖縄戦のことは歴史的なこととして知っていても、実際の血縁者の話として聞くことは私としても初めて。
義母は沖縄の慰霊の旅は2回目ということですが、前回は何処に向かってお祈りして良いかわからず、海に向かってお祈りをしたそうです。
今回の旅では平和記念公園の平和の礎に刻まれた(母にとっての)父の名前を見つけ、安堵していたと家人から聞きました。
平和の礎概要(沖縄県平和祈念資料館HP)を読むと、刻銘対象者として、「他都道府県及び外国出身の戦没者」の項目に「1945年3月26日から同年9月7日までの間に、沖縄県の区域を除く南西諸島周辺において、沖縄戦に関する作戦や戦闘が原因で死亡した者」とあり、これが刻銘対象となった理由と思われます。

 沖縄戦は1945年3月26日に始まり、1945年6月23日までとされるのが歴史的な記録ですが、実際には5月末には第32軍の首里司令部は陥落し、6月下旬には組織的な戦力は喪失したとなっています。ただし、その後も掃討戦は続き、連合国軍は7月2日に沖縄戦終了を宣言して終結に至っているようです。
その戦闘の終盤に祖父は戦死したと伝えられているようで、祖父の戦死時期を聞いた祖母と母はさぞ無念であったことと思われます。

 実は義祖父が戦死した時期の前には4月の日本海軍残存艦隊による「沖縄海上特攻戦」で叔父をなくしています。実母のすぐ下の弟はまだ未成年で志願兵として戦争に赴き、そして戦死したと母から聞いています。私は日章旗がはためく戦艦の上で水平服姿で敬礼する若き叔父の写真を母の実家の仏壇で見たことがあります。

 沖縄戦の戦死者及び民間犠牲者の数は19万人弱とされ、内、民間人(軍属・戦闘参加者除く一般住民)は3万8,754人(推定:沖縄県1950年調査)。※他にも諸説あります。
冒頭に紹介した「平和の礎」には日米合わせて24万人の名前が刻まれています。

 家人の慰霊の旅に同行できなかったことを悔いています。

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