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一乗谷朝倉氏遺跡その1(福井市)国の三重指定(特別史跡・特別名勝・重要文化財)「義景館跡 (唐門)」「湯殿跡庭園」「中の御殿跡 」「諏訪館跡庭園」。そして「明智神社」と明智光秀,凞子,たま,ガラシャ。足利義昭。

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一乗谷(福井市)2019年12月散策記事
一乗谷朝倉氏遺跡その1朝倉義景と朝倉館
一乗谷朝倉氏遺跡その2復原町並み
福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館
道の駅一乗谷あさくら水の駅と足羽川頭首工

越前町2019年12月観光記事

越前ガニ特大サイズを求めて蟹かに亭実食
2020/01/10ハーツ羽水(福井県民生協)

南条SA(E8 北陸自動車道)
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 当日はタグ付特大越前ガニ実食のための福井行。

久々の家族同行遠征なので、城好き家族のために「天空の城 越前大野城」へでも行くかと検討したが、早朝出発で山登りして、且つ天候に左右されるため雲海に浮かぶかどうか不明ということを考慮して断念。
代わりに高速インターからより近い「一乗谷」へカニ実食の越前町から向かう。
このルートは3年前の越前ガニバスツアーで通過している。織田信長の祖先発祥地を通過するルート。

2016/01/02日本海 さかな街(敦賀市)
2016/12/29宿かりでタグ付き越前がに(越前町)
2016/12/28道の駅越前(福井県越前町)
2016/12/27越前がにミュージアム(越前町)
2016/12/26越前めがねの里(福井県越前市)
2016/12/23越前そばの里(武生製麺:福井県)

 一乗谷観光は「復原町並ゾーン」と「義景館跡及び周辺ゾーン」、そして「周辺ブラタモリゾーン」。

また、車移動になるが近くには「福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館」や「道の駅 一乗谷あさくら水の駅」があり、それぞれ趣があり、楽しむことができた。

 今回は【その1】として「義景館跡及び周辺ゾーン」の話。

実際には復原町並ゾーンの北側駐車場に停めて、町並み散策の後に義景館ゾーンを歩いたのだが、話の都合で前後を逆に紹介。

 まずは朝倉義景の話から。
1533年生~1573年没。
家紋は三盛木瓜(みつもりもっこう)。
結果的に朝倉家を11代(但馬国朝倉広景から数えて)で終わらせてしまったが、一時期は室町幕府第15代将軍の足利義昭を庇護し、義昭から上洛をさかんに進められるなど、天下取りとはいかないまでも歴史の中心人物になれる可能性を持っていた戦国武将。
織田信長と敵対し、浅井長正ともども討たれてしまう悲運の武将だが、京文化を取り入れたり、一乗谷の復原町並みの再現遺構にも残されている町づくりの手法を眺めても、教養人であったことが伺える。
資料によると、元々、朝倉氏は但馬国の出で、越前守護斯波氏に従い、南北朝の頃、越前入り。一乗谷朝倉氏初代の朝倉孝景より数えて5代にあたります。
義景の父である孝景が足利幕府御供衆であったこともあり、第13代将軍足利義輝(義藤)より名の「義」を賜り、「左衛門督」の官位を与えられる。
隆景が衛門府の1等官に相当する長官の官位である左衛門督に任官されていたことにちょっと驚く。
歴代朝倉氏が衛門府の3等官である「左衛門尉」への任官だった常だったことよりも、同じく「左衛門督」という官位に任官した“あの”金吾中納言小早川秀秋(金吾は左衛門督の唐名)と同じレベルだったのかという驚き。
高位任官には管領(異説あり)細川晴元の娘を娶るなど、血縁関係にも恵まれていたことも一因という説もあるが、当時の幕府の衰退ぶりから想像するに、越前の地方都市に当時としては日本有数の人口であった1万人の城下町を作り上げた朝倉家のバックアップを足利将軍は必要としていたためと思う。

 地方で力を持ち、武田信玄や本願寺顕如とも細川氏を通じて血縁関係にある朝倉義景を頼って一時期、足利義昭(室町幕府第15代将軍)が永禄の変(1565年,松永久秀が第13代将軍足利義輝を殺害)の後、朝倉家を頼り一乗谷に滞在。朝倉館で元服し、名前を義秋から義昭に改名。朝倉家と加賀一向一揆との和睦を仲裁したりするなど、さかんに上洛を義景にすすめる。
上洛すれば足利義栄を第14代将軍に擁立(1568年)した三好三人衆と戦はねばならないこともあり、足利義昭の要請を断ってしまう。
この時、美濃で発生した斉藤道三と斉藤義竜の親子の戦いにおいて、道三に見方した土岐氏支流の明智光秀は敗戦後、流浪しながら若狭経由で越前に逃れて朝倉家の一向一揆戦いに参軍。戦いに貢献した明智光秀を5000石で客分格として迎え入れられる。
この地に光秀は10年間滞在し、一乗谷には明智光秀を祭る「明智神社」がある。

明智神社

福井市東大味町土井ノ内
◇地図

 娘、細川たま(ガラシャ, 珠,玉)は東大味町土井ノ内で生誕したと伝えられている。
その後、1566年に光秀は朝倉家に見切りをつけ、遠い血縁関係にあった信長の妻、お濃を頼り、織田信長軍に入る。
その後の活躍により織田軍団の重鎮となったことはご存知の通り。

朝倉家を見限り、織田信長を頼ることにした足利義昭であったが、その仲を取り持ったのが一乗谷の朝倉家で知り合った明智光秀だったという話もある。
後年、信長の命により、一乗谷を焼き払った柴田勝家に対して、光秀は住居のあった東大味(ひがしおおみ)周辺を破壊しないように要請。差の時の「安堵状」が近隣の西蓮寺にて保管されているようです。
明智光秀が側室を持たなかったほどの愛妻家であり、妻の凞子(ひろこ)も疱瘡を患った自分を娶ってくれたことの恩を忘れず、困窮時には自慢の髪を切って売るなど、光秀を支えたことなどの夫婦仲の美談により、近年、明智神社は「恋愛パワースポット」として新聞ダネになるなどひっそりと注目を集めています。
2020年の大河ドラマ「麒麟が来る」で有名になりそうな神社です。要チェック。

ちなみに明智光秀の当地の墓には「理言久意信士 天正十年六月十三日」と戒名と没年月日(小栗栖での死亡日)が記されている。

 一方、朝倉義影は1568年に越前の隣国である若狭(当時は若狭武田氏が支配)を併合。
さらには1571年には朝倉義景の娘と浄土真宗本願寺11世顕如の子である教如との縁組によって一向宗を解禁し、長年の課題(一向一揆)を一気に解決。

織田信長を頼った足利義昭はあっさりと受け入れられ、1568年に上洛し、無事、第15代将軍となる。
そして織田信長は足利義昭を通じて朝倉義景に上洛を命ずるが、義景は無視。よって信長は朝倉を攻める。
1570年金ヶ崎の戦いでは、娘婿の浅井長政の裏切り通報(お市の方からの両端を結んだ小豆袋<伝>により織田軍は急遽退却。
この戦いではその後、織田軍団の中での軍事力評価が高まる一因となる木下藤吉郎秀吉が殿の主軍を勤めた「金ヶ崎の退き口」が有名。
次いで、朝倉・浅井連合軍と織田・徳川連合軍による姉川の戦い(1570年)で敗北に近い引き分け(巷で言われる程、織田軍大勝利ではないようだ)になったものの、朝倉軍は8月になると体制を建て直し、琵琶湖沿岸の近江坂本まで攻め込む「宇佐山城の戦い」をしかける。
朝倉軍は比叡山に立てこもり「志賀の陣」をはる。手を焼いた信長は一旦、義景と和睦。
その後、滅亡のきっかけとなる「田部山の戦い(1573年)」で大敗し、さらに退却中の「刀根坂の戦い(1573年)」で朝倉軍はほぼ壊滅。
一乗谷に戻るも、側近の裏切りもあり、大野の賢松寺で自害。享年41歳。
死後は首を京都でさらされた後、頭蓋骨(髑髏)箔濃を施して信長家臣の前で披露された。
ちなみにどくろで酒盛りはされていないようで、首化粧的意味合いがあったという。

 それでは朝倉館跡周辺を散策。時間にして1時間弱。山城には登城せず。

前述の通り、福原町並みを北側から南側へ見学した後なので、南入口から一乗谷を渡り対岸へ向かう。
以下、地図の番号と連動。

 一乗谷城下町を柴田勝家が焼き払った後、柴田勝家は北ノ庄城を築いたため、一乗谷の城下町はそっくり埋もれていました。そのおかげか遺構がほぼそのまま往時のまま残されていて、その遺構を元に復原町並みの一部が再現されている。

遺跡の発掘調査は1967年から進められ、1971年には一乗谷城を含む278haが国の 特別史跡 に指定

また、1991年には諏訪館跡庭園、湯殿跡庭園、館跡庭園、南陽寺跡庭園を含む4,205㎡が 特別名勝 に指定
2007年には朝倉氏遺跡出土品のうち、 2343点が重要文化財 指定 を受け、国の 三重指定(特別史跡・特別名勝・重要文化財)となる。

他に三重指定を受けているのは5ケ所あり、金閣寺、銀閣寺、醍醐寺三宝院、平城宮、厳島神社となっています。
ふと思ったが、国の三重指定5ケ所のうち、国宝指定がないのは一乗谷だけなんですね。

①米津
 復原町並み南側入口を外に出て一乗谷を渡ると「米津」と表示された場所に出る。発掘は2007年開始。刀装具やガラス製品が発掘され、工房跡もあったことからこの場所で製造されていたのではないかと考えられています。
特に室町時代のガラス工芸品については国内で発見された事例が少なく貴重な発見。

 

②特別名勝諏訪館跡庭園
義景の妻「小少将(こしょうしょう)」が住んでいたと伝えられている池泉(ちせん)庭園。朝倉遺構の中でも特に庭園規模が大きく壮麗。滝口の右にある大きな石が「諏訪(すわ)の立石(たていし)」。

道路跡

 中の御殿南側。

中の御殿

 朝倉義景の母「高徳院(こうとくいん)」の屋敷跡。池の石が抜き取られ残っていないのは畑となっていた時期があったため。
 中の御殿の上に一乗谷全体を見渡せる物見台が観光用展望台として整備されている。


特別名勝湯殿跡庭園
 朝倉館跡内の奥の高台に設置。他の庭園と違い、荒々しい雰囲気の石組みが残されている。

特別名勝朝倉館跡

 遺跡内には15ケ所庭園が設置されていて、全国でも珍しい。池底には河原石が敷き詰められ、池側には越前海岸から運ばれた「安島石(あんとういし,坂井市三国町安島)」が設置されていて石へのこだわりもなかなかのもの。

唐門

 朝倉義景の菩提を弔う目的で江戸時代に松雲院の山門を移築して建てられたと推定。

 館から出て、一乗谷川を渡り、車を停めた復原町並み北側駐車場に戻る。
これだけの遺構を見せていただいたにもかかわらず、駐車場は無料で町並みの入場料210円だけというのがありがたい。

一乗谷城 下城戸跡(しもきどあと)

 一乗谷駅方面に向かう途中、家人が高さ4m、長さ38mの土塁発見。
敵の侵入を食い止める目的で、一乗谷の北端、谷幅が狭まった場所に構築。
外側から町の中を見ることができないように「矩折(かねおれ)状」になっていることを確認。
すばらしい。

 この遺跡は本当に素晴らしい。

復原町並みはボランティアガイドさんがいなかったら感動は半減していたかもしれません。

 続いて、資料館へ向かう

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一乗谷朝倉氏遺跡
福井市城戸ノ内町
国の三重指定(特別史跡・特別名勝・重要文化財)
・一般社団法人 朝倉氏遺跡保存協会
℡0776-41-2330
(AM9:00~PM5:00 *ただし入場はPM4:30まで)
年中無休(但12月28日~1月4日まで休み)
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