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映画鑑賞「ザ・バンド,かつて僕らは兄弟だった」The Band,ロビー・ロバートソン,マーティンスコッセッシ,Ronnie Hawkins,名演小劇場(名古屋市)

 悲しい映画である。

 若い頃、心を揺さぶられた彼らの音楽作りや演奏活動がどのように壊れていったかを周囲の仲間の語りや主人公のロビー・ロバートソンの言い分を中心に、当時の音楽とともにストーリーが進む。
カナダの若い監督がロビーの自伝「ロビー・ロバートソン自伝 ザ・バンドの青春(原題:TESTIMONY)』 ロビー・ロバートソン 著 奥田祐士 訳 DU BOOKS (2018年9月28日)」を読み映画化。

製作総指揮にはマーティンスコッセッシ(1978年ザ・バンド/ラストワルツ監督)を立てている。
ジョージハリスン等、過去インタビューもあるが、ヴァン・モリスンボブ・ディランがインタビューに答えているのは興味深い。
特にヴァン・モリスンは貴重なインタビュー映像だ。内容はともかく。
また、クラプトンがThe Bandのデビューアルバム「ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク」を聞き、そのサウンド構成に衝撃を受け、自らThe Bandにギタリストとして加入したいと申し込んだ話は映画でも挿入されていて有名な話だが、実際にクラプトンがウッドストックの彼らの元まで足を運んだものの、加入どころか、セッションも断られたことは知らなかった。
その後のクラプトンのソロアルバムでの共演やラストワルツでの共演などを含めて、The Bandへの敬意は続く。

自殺したザ・パンドメンバーのリチャード・マニュエルに捧げられた「ホリーマザー」をコンサートで歌うクラプトンを名古屋で見た時にはグッとくるものがあった。
クラプトンとマニュエルは酒を通じて懇親を深めていたということもこの映画で知る。
マニュエルは当時、ウッドストックに滞在していたヴァンモリスンともお酒の交流を深める。
このあたりのウッドストックでの生活状況はリヴォンヘルムの自伝「ザ・バンドの軌跡」に詳しい。

ちなみにこの古書は現在アマゾンで368,780円と1,515,151円で販売されている(2020/11/20)。数年前はたしか2,000円から3,000円で購入できたが・・・。
絶版であることと、映画を見てリヴォン側の視点も知りたくなった方々の需要か。


ロビーロバートソンの自伝も興味深いが、リヴォンの自伝はロックンロールが生まれる前、今でいうところのルーツミュージックがラジオや街中で流れていて、人々の大切で貴重な娯楽になっていた頃の現地・現物・現実体験の話で非常に興味深い。

ロバートジョンソンサニー・ボーイ・ウィリアムスンマディウォーターズ等のブルースの巨人達だけでなく「ミッドナイトランブル」「フーチークーチ」などの言葉の意味等も紹介されていて面白い自伝だった。
また、偉大なブルースマンに対する畏敬は当時の状況を含めて非常に興味深い。
そして我が日本に対する好印象も嬉しい。

ロビーロバートソンにせよ、リヴォンヘルムにせよ何者でもなかった頃の話が一番、面白いし楽しい。
ザ・バンドに対する知識の多くはザ・バンドの主役の二人の自伝と「流れ者のブルース(1994年初版)」から得ているが、実際に彼らのライブを見ていないことがずっと残念で、知っているのはレコード、CD、ビデオ、DVDの演奏や映像のみ。
1974年のボブ・ディランとザ・バンドのツアーをのライブアルバムである「偉大なる復活」(Before the Flood)を聞いたのは高校生だったか大学生だったか。
当時はディランのバックバンド程度の知識しかなく、ものスゴイ演奏をするグループだなと、子供ながら感心したものです。
そしてラストワルツを劇場で見たのは1978年で、何十回観たか覚えてないくらい繰り返し観た。ビデオも、DVDも購入した。

 ザ・バンドは1967年にメジャーデビューし1976年に実質的な活動を終え、その後は代替メンバーを加えて「The Band」名義での活動を1999年まで続けるが、ロビー・ロバートソンが加わることは米ロックの殿堂入り時の演奏(1994年)を除き、なかった。
もっとも、その時はリヴォン・ヘルムがロビーとの軋轢から参加を見送り、代わりに殿堂プレゼンターを務めたクラプトンが加わり「ザ・ウエイト」を演奏した。

1967年メジャーデビュー時のThe Band 名義のオリジナルメンバーは、
・リヴォン・ヘルム
・ロビー・ロバートソン
・リック・ダンコ
・リチャード・マニュエル
・ガース・ハドソン
元になったのは「ザ・ホークス」で、映画でも紹介されている通り、アメリカのロカビリー歌手のロニーホーキンスのバックバンドとしてカナダで結成。
映画ラストワルツの中で「16年前に・・・」とロニー登場時の口上で紹介されているので、引き算をすると1976年(ラストワルツコンサート時)マイナス16年で1960年となる。
オリジナルメジャーデビューメンバーが揃ったのが1963年末なので16年前はロビーがホークスに入れてもらった頃を出発としているようだ。
少々、時代遅れとなってしまったロカビリー歌手のロニーホーキンスがカナダで演奏を始めたのは1958年で、その時のバックバンドの「ホークス」のドラマーがアメリカから連れてきたリヴォン・ヘルム
当時、高校を卒業したばかりの未成年。
その当時のロニーホーキンスバンドの演奏が映画でも紹介されていたが、ユーチューブでも見ることができる。なかなかの芸達者ぶり。
ちなみにロニーのLPレコードを持っていたりする↓

 カナダで結構な人気を誇っていたロニーだったが、アメリカから一緒に来たメンバーがホームシックにかかり、バンドから脱退する。
そしてカナダでバンドに補充採用されたのが、リヴォン・ヘルムよりもさらに若いロビーロバートソンで、彼はロニーの前座を務めていたバンドのギタリストだった。
前述のロビーロバートソンの自伝によると、ロニーに誘われてカナダからアメリカへ電車で行き、バンドに参加することに。
移動費用を捻出するために1958年製造のフェンダーストラトキャスターを手放している(もったいない!!)ことから、正式採用前のオーディションだったとこれまた推測。
ロニーには当初より手腕を認められ、彼(ロニーホーキンス)のLPのために2曲提供している。当時、ロビーはまだ15歳くらいだった。
実はこの時、後でリヴォン・ヘルムとの最大の確執の原因ともなる著作名義のことで大きなトラウマを抱えている。
彼の提供した2曲の著作名義にまったく関係ない第三者の名前がクレジットされていた(ロビーの自伝より)。

 ロビーロバートソンはロニーのバンドに残ったリヴォン・ヘルムを兄のように慕い、先輩として頼りにしていた。

 その後、ロニーホーキンスはカナダでリヴォンヘルムとロビー以外のメンバーを集め、自身のバックバンドである「ホークス」に順次参加させる。
これが前述の通り1963年末

この後、ホークスはロニーと袂をわかち、「リヴォン・ヘルム&ホークス」というバンドを1964年に結成。
ロニーと別れた後、彼らは小さなダンスホールやライブハウスみたいなところを回ってほそぼそと演奏していた話は映画「ラストワルツ1978年」でも紹介されている。
“あの”ジャックルビー(ケネディ暗殺のオズワルドを射殺)のバーでも演奏していたというから、かなりの場末(知らないけど)まで回っていたようだ。
映画ではその当時のことを振り返ったり、メンバー同士仲良く振舞っていたが、あとで彼らの自伝やザ・バンドの歴史を読むと、すでに確執がでてきている。
もっとも、リヴォン・ヘルムはボブ・ディランのバックバンド時代、一時的にホークスを脱退している。
ディランがフォークギターからエレクトリックギターに持ち替えた頃で、例のブーイングの嵐に耐えられなくなり、ロビー・ロバートソンにだけ脱退を告げてバンドから逃げ出している。
よって有名なロイヤル・アルバート・ホール(1966年)のライブ(実際の音源はフリー・トレード・ホール,マンチェスター)で観客から「ユダ(裏切者)」とディランがののしられた時のドラムはミッキー・ジョーンズがたたいていた。
CDを持っているが、何回聞いてもピリピリとした緊張感。

 ロニーホーキンスの元を巣立ったホークス(ザ・バンドの前進)はリヴォン・ヘルム&ホークスと名乗り、彼がリーダーだったがディランに気に入られて側近のように従うロビーとの確執はこの頃からあったようだ。

ラストワルツ以降に楽曲の著作権問題が浮上する頃には関係がすっかりこじれていた。

 面白いというか興味深いのはロニーホーキンスが映画の中のインタビューで、好き勝手にいろいろとザ・バンドの当事者しか知りえない情報をペラペラと紹介している。
今までもいろいろろな内情バラシでザ・パンドのメンバーのことを話していて、メンバーから「もう話すな」と厳しく注意されていたが、それでも、元の親分として「ロビーロバートソンはもっと他のメンバーに配慮すべきだった」とか、逆に著作権を主張するリヴォンヘルムに対しては「作詞作曲者と編曲者は『立場が』違う」とピシャリと言ってのけるのはさすが。

今回上映された「ザ・バンド,かつて僕らは兄弟だった」だが、100人収容の上映室に20~30人程度だろうか。客は全員、当方と同年代かそれ以上。
同年代はラストワルツ世代で、それ以上はボブディラン&ザ・バンド1966年頃からのファンか。

 冒頭に記したように悲しい映画である。
リヴォンヘルムの麻薬に溺れる話は辛い。彼は若い頃の素行はともかく、晩年は人格者として知られていたので余計に辛い。
リトルフィートのライブDVDのサブチャンネルでリトルフィートのメンバーがリヴォン・ヘルムのことを素晴らしい人だったと語っていたのを記憶している。

ロビー・ロバートソンとの関係はリヴォン・ヘルムが意識ある間までには戻らなかった。
映画では死の前にリヴォン・ヘルムの病室を訪ねた話がロビー・ロバートソンから紹介されていたが・・・・。

名演小劇場
名古屋市東区東桜2丁目23番7号
℡052-931-1701(代表)
テープによる上映案内℡052-931-1741

□ロビーに記念撮影スポットがあり、置きに擦りのレコードジャットを形どったボードを持って記念撮影できる。

※映画「ザ・バンド,かつて僕らは兄弟だった」は11/20で上映終了

 

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参考資料(食彩品館.jp蔵書)

ザ・バンド 流れ者のブルース
 著者 バーニー・ホスキンズ、訳者 奥田佑士
 (1994年8月1日初版第一刷)

・「This Wheel’s on Fire: Levon Helm and the Story of the Band」
 邦題「ザ・バンド 軌跡(音楽之友社」)
 (1994年8月10日初版第一刷)

・ロビー・ロバートソン自伝 ザ・バンドの青春
 (原題:TESTIMONY)

 DU BOOKS (2018年10月19日初版第一刷)

・映画「ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった
 「Once Were Brothers: Robbie Robertson and the Band」
 2019年カナダで公開。2020年日本で上映。
▫映画パンフレット

▫映画紹介

▫DVDとブルーレイ

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