熊野の実家で正月を迎える。
「明日は天気が良いので初日の出を見に行ったら」と母が勧めてくれた。
子供達は行かないということで、夫婦二人で初日の出を拝みにいくことにしたのだが、元旦当日、妻が辞退。
そうしたら突然、朝寝坊の長男(高2)が「行く」と言いだしたため妻も前言撤回し同行することに。
外はすでに夜が明け始めていて、七里御浜の獅子岩付近の国道42号線には車がズラっと駐車。薄いダウンジャケットしか持ってきていなかったので、少し震えながら日之出を待つこと20分。予定通り午前7時に太陽が昇った。
漁船が朝日を浴びて横切る。美しい眺めを見ながら太陽が昇るのを見ていると、海の上を旭日が私たち家族に向かって伸びてくる。波が少しあるため途切れ途切れに。
空海が御厨人窟で虚空蔵求聞持法の修法中、明星が口の中に飛び込み求聞持法会得した時のような景色も同じだったのでしょうか。
ナウ ボゥ アキャシャ ギャラバヤ オン アリキャ マリボリ ソワカ
いや、これは太陽なので円珍(智証大師)の故事なのかもしれません。
吉兆ということで気を良くして家族と一緒に花窟神社へ初もうでに。
食彩賓館で何回も記事にしているのですが、昨年は古事記編纂1300年ということで、各地の古事記ゆかりの神社を参拝しました。
とはいえ、こちらの花窟神社が紹介されるのは日本書紀の方。古事記では出雲に葬られたと記されています。
花窟神社
三重県熊野市有馬町上地130
◇主祭神
伊弉冊尊、軻遇突智尊
参拝日 2011/05/01(記事5/22)
参拝日 2012/08/12(記事8/31)
参拝日 2013/01/01(記事)
古代信仰の名残を残す磐座(いわくら)。
ご神体は国道42号線からも良く見える大きな岩。
神社というよりは古代から墓稜と認識されてきたようです。神社とされたのは明治以降。ということで、地元の人以外には歴史的脚光を浴びることはなく、観光地としても近くの獅子岩ほどの知名度はありませんでした。
ところが2004年に世界文化遺産登録されたことで有名になり、さらに昨今の研究で古代信仰としての花の窟(いわや)の存在感が増し、昨年は待望の観光施設も完成オープンするに至りました。
研究の成果により、この場所が古代の墓地(風葬や水葬を連想するような自然遺構もある)であったことが紹介され、生と死と再生の地“熊野”を象徴するような場所であるということで、熊野という名称を市名に使用するにふさわしい場所だということをあらためて証明することとなりました。
というのも、もともと木本町や花の窟がある有馬村周辺の町村が合併し「熊野市」という名称になったのですが、この「熊野市」と名乗るのにふさわしい熊野本宮がある本宮町、那智山のある那智勝浦町、熊野速玉神社のある新宮市からすると、木本町周辺が熊野市と名乗ることにいかさか疑問を感じているのではと心配していたのです。
この花窟神社の存在により、「熊野」と名乗っても違和感はないと思うようになりました。
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少し体が冷えたので、一度、実家に戻り休息。昼前に妻の実家のある志摩市へ向かうため出立。
その前にまだ未参拝の産田神社(うぶた)へ、今度は長女(大2)を伴い、家族そろって参拝。花窟神社から車で数分の距離のところにあります。
昨年10月に改装されたばかりの「ほほえみかん」前を通過。
JA三重南紀ファーマーズマーケットほほえみかん
熊野市有馬町1368番地の1
℡0597-85-2169
改装前訪問日 2009/03/21(外観)
開店日(プレ) 2012/10/01(記事10/1)
開店日(グランド) 2012/10/06
ニュースリリース
・売場面積 510㎡(155坪)
↓ 撮影日 2013/01/02
↓ 改装前撮影日 2009/03/21
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●産田神社(うぶたじんじゃ)
三重県熊野市有馬町1814
◇主祭神
伊弉諾尊(イザナギ)、伊弉冊尊(イザナミ)、軻遇突智尊(カグツチ)
※本来の祭神は伊弉冊尊、軻遇突智尊
まずは「さんま寿司発祥の地」と書かれた柱を確認。
~祭典の際、拝殿で行なわれる直会(なおらい)のとき、「ホウハン」という特別な膳んが出る~と書いてあるが、奉飯(ホウハ)ンの献立にサンマ寿司(現在の形とは異なる)が入っていたことから「発祥の地」としたそうです。
↓ 奉飯のサンマ寿司は腹開きにして背骨を残す
熊野市さんま寿し保存会は産田神社の例祭(1/10)が執り行われた後の直会で出される秋刀魚寿司にちなみ、1月10日を「サンマの日」としています。
産田神社について説明書より抜粋
~産田神社は弥生時代からの古い神社で、伊奘冉尊(いざなみのみこと)と軻遇突智神(かぐつちのかみ)を祀っている。日本に米作りが伝えられた頃からあったと考えられており、古い土器も出土する。古代には神社に建物がなく、『ひもろぎ』と呼ばれる石で囲んだ祀り場(祭祀台)へしめ縄を張り神様を招いた。この神社の左右にある石の台がそれである。日本で二箇所しか残っておらず大変古くて珍しい。~
この「ひもろぎ」は「神籬」と書き、社殿や神棚の無い場所での祭祀時に神様をお迎えする依り代。現在は榊などの「常盤木」のことのようであるが、古代はこのような石が用いられていたようです。
産田神社の石は「ひもろぎ」であり、花窟神社の巨岩は「いわくら・磐座」なのでしょうか。
それはさておき、伊弉冊尊(イザナミ)が軻遇突智尊(カグツチ)を生んで亡くなった場所が産田神社で、葬ったのが花窟神社ということなので、せっかくなら両社を参拝されることをお勧めします。
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