==================== ◇新城市作手訪問記 ・2020/05/06道の駅つくで手作り村 ・2020/05/08古宮城(新城市)続100名城 ・2020/05/11鬼久保ふれあい広場(新城市) ・2020/05/13高原のパン屋麦の家(新城市) ・2020/05/15山の幻作手産ミネアサヒ ・2020/05/18亀山城址(愛知県新城市作手) ・2020/05/20ショウジョウバカマ山家市 ・2020/05/24巴川平地分水点。三河の由来 ・2020/05/26とまとソフトクリーム,りんか409 ・2020/05/29美河ハム,スモークチキン ・2020/06/01甘泉寺のコウヤマキ,鳥居強右衛門墓 ・2020/06/03道の駅つくで手作り村味彩館 ======================== 古宮城址(愛知県新城市作手)を訪れた時に周辺の観光案内板を何気なく見ていたら甘泉寺が近いことに気付く。 せっかくの機会なので次の目的地である亀山城址の前に寄り道訪問をすることに。 ・翔龍山甘泉寺 新城市作手鴨ヶ谷字門前23 ℡0536-37-2337 駐車場20台 開基(伝) 1370年(応安3年) 臨済正宗22世弥天永釈大和尚 本尊 釈迦如来


参道左右に杉の大木。樹高30m 幹周り4.27m 樹齢300年以上というものもあり、見ごたえがあります。


↓ 鳥居強右衛門 磔の場所(対岸)

この死を賭した強右衛門の行動に鼓舞された長篠城の将兵は、援軍到着までの二日に及ぶ武田軍の猛攻に耐える。 長篠の戦いは織田・徳川連合軍の圧勝に終わるが、鳥居強右衛門殺害を聞いた徳川家康は「勝頼のような武士の忠義を粗末にする大将はいずれ家臣たちの離反を招いて滅亡する」と予言し、事実、そのようになり武田家は滅亡する。 また、鳥居強右衛門忠義に感動した信長が建立したのが、今回、訪れた甘泉寺の「鳥居強右衛門勝商の墓」である。 鳥居強右衛門は現在の豊川市出身だが、妻が新城市作手の出身ということで、この地に縁があり甘泉寺に墓がある。 鳥居強右衛門の忠義により、奥平家は大いに家名を高め、長篠の戦いを「開運戦」とし、強右衛門の子孫は代々「強右衛門」を名乗り、奥平松平家で厚遇(子孫は家老)を得た。 味方軍だけでなく、敵方の武田軍にも強右衛門の忠義に感動した武士がいて、武田家家臣の落合左平次道久は自分の旗指物に、磔にされたされた鳥居強右衛門の姿の図柄を採用し、これを戦場で用いたという。

はこの鳥居強右衛門最期の地であるということで命名されている。 ◇長篠城址 2008/05/18撮影


↓ 鳥居強右衛門 磔の場所(対岸)

















