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続日本100名城「古宮城(愛知県新城市作手)」。新城の城址を訪ねる。武田信玄,馬場美濃守(信房),五重土塁,両袖枡形虎口,仕切り土塁,多層土塁,掘切,。白鳥神社

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(2020年4月の愛知県緊急事態宣言前の訪問記事です)

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 我が家のブームであるお城巡りも、現存天守閣の残る国宝級鑑賞から、天守も城郭もない城址鑑賞へ嗜好が変わってきている。
城址は見る側にある程度の知識を要求し、その知識がないとまったく面白くもなんともない、ただの起伏のある丘という印象。
ただし、よくよく眺めるといろいろな特徴があり、それを発見し、その価値を自分なりに判断し、記憶と記録に留めおく。
そして、帰宅後、資料を再確認して自分の眼力が正しかったのかを再確認する。
そういう楽しみ方を家族でしています。

  私の城に対する知識はパンフレットに書いてある程度なので、成り立ちや人物とのかかわりについては理系男子のくせに歴史モノに詳しい子供に頼ることが多い。
彼によると、近くの亀山城に対する付城(最前線の監視的役割と攻撃拠点)で、元亀2年(1571年)頃の築城なので、徳川家康側についた奥平貞昌(信昌)の亀山城を監視し、あわよくば落城させる目的で作られたという。

  もちろん、当時の西三河の覇者、徳川家康への牽制目的もあったと思われる。
武田氏に従属していた亀山城を拠点とする奥平貞昌(信昌)が徳川家康側に転属するのが、天正元年(1573年)なので、築城の元亀2年(1571年)頃は武田方に属していたことになる。
亀山城の付城の目的は、当初は奥平への監視と、西三河方面への侵攻拠点として、奥平の転属後は攻撃拠点として変遷したのかもしれない。

 この城は立地、城郭構造的に平山城に分類される。
標高500m強の作手高原の中にある比高30m程度の丘に設置されている。
 ※比高(山頂から山裾までの高低差)

しかも奥三河では珍しい武田方の城とされていることもあり、その遺構の保存状態も良く、城マニアだけでなく、研究家からの評価も高い。
古宮城の縄張りは武田四天王の一人、馬場美濃守信春(信房)という説が有力。
よって、武田氏の築城技術を、保存状態の良いこの古宮城で見ることができるというのが、評価の高い理由。

 馬場美濃守信春(信房)は山本勘助から城取の奥義を伝授されており、牧之島城(信濃国)、田中城、清水城(駿河国)や諏訪原城、小山城(遠江国)等を手がけている。
武田信玄からの指示は「少数の軍勢では攻略できない。さらに大軍攻撃にも少数で防衛可能。時に攻略されることがあっても、逆に簡単に奪取可能な城」。
この信玄からの難題を解決すべく、馬場美濃守は山本勘助からの伝授を力に築城し、古宮城でも彼の築城奥義を見ることができるようです。
長篠の戦いで討ち死にするも、織田軍より「馬場美濃守比類なし」と激賞されたという逸話を残す。

 城全体を亀山城側から眺めると、現在は中央の白鳥神社から入城するルートだが、当時は西側(神社に向かって左側)が攻め口となる想定で、それ以外の周囲は湿地帯になっていて容易に近づけないような状況だったという。
仮に攻められても、各所に設置された土塁によって敵の進行方向を混乱させ、それを上から攻めて殲滅する。
西側にはそういった土塁が5重(5段)で配置され、しかもそれぞれが袋小路になっている。
その土塁を突破しても場内を大きく東西に分ける堀切が障害となって行く手を阻む。
当然、守備軍は難渋する侵入軍を上から襲撃。
なんとか主郭に近づいても、馬場美濃守の配置した「両袖枡形虎口」によって、侵入軍は主郭に侵入した途端に、脇からの攻撃により殲滅・・・。

以下が古宮城の配置図ですが、図面の番号と地図の番号を確認していただき、以下、読み進めていただきたい。

↓ 上記配置図と見比べてください


 今回は亀山城址から見て正面の白鳥神社から入場。

白鳥神社

①神社脇の階段を上り城址へ向かう

②白鳥神社本殿上から城址東側方面

西側城郭方面
 二の曲輪(西側の城)と掘切方面。

古宮城は東西に主郭を配置して、その中央を掘切で分け、さらに周囲を土塁で何重にも囲んで防御するようになっている。
尾根伝いに侵入してくる敵に対して、尾根を切って堀状にした防御がわかります。

④御神木の「大ひのき」の看板があり、その方向に進む。

御神木
 白鳥神社の御神木は土塁の上に立っている。しかもそこは主郭虎口。

主郭虎口
両袖枡形虎口」。
虎口は曲輪の出入口のことで、桝の様に四角いことから枡形虎口と呼ばれる。
当城の両袖枡形虎口は武田氏の居城に多く採用されているため、古宮城は武田氏の城と推測されるようになった。
虎口から進入した敵兵は入ったとたんに守備軍の攻撃を受けるという仕組みは前述の通り。

虎口から主郭内仕切り土塁を見る

主郭内から虎口を見る

⑤主郭の仕切り土塁
 これも武田氏の築城を技法。

⑥主郭から北面下部を眺める

主郭下東側方面

⑥主郭から西側堀切方面


西側城郭二の曲輪(西側の城)方面の多層土塁(5段)

 

 さすが、続日本100名城に選定されるだけのことはありますね。

 ☆亀山城址記事に続く

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古宮城跡
愛知県新城市作手清岳宮山31

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作手と新城地区の関連城址


亀山城址
新城市作手清岳字城山 地内
(道の駅 つくで手作り村に隣接)
2009/01/28亀山城址(愛知県新城市)

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古宮城跡
愛知県新城市作手清岳宮山31

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石橋城址(慈昌院)
新城市作手清岳寺屋敷3
作手奥平氏ニ代の奥平貞久の次男、久勝が最初の城主。天文6年(1573年)に久勝の子である繁昌の模範発覚により攻められ討死。

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川尻城址
愛知県新城市作手高里城山32
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文殊山城址
愛知県新城市作手清岳杉本
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塞之神城址(さいのかみ)
愛知県新城市作手清岳 クザ畑2

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新城城址
愛知県新城市字東入船

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長篠城址
愛知県新城市長篠市場22ー1

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野田城址
愛知県新城市豊島本城
2011/12/18武田信玄最後城攻野田城址

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織田信長陣地(長篠・設楽合戦) 長篠設楽原PA

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設楽原の馬防柵

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