中華人民共和国訪問の思い出その1。1989年~1999年。サソリのから揚げ,地ビール,人民服に毛沢東語録で文化大革命。人民解放軍兵士。

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北京オリンピックも終わり、「中国の思い出シリーズ」スタート。第一弾です。
中華人民共和国へ初渡航は1989年。あの天安門事件(第二次)の年です。
その後、1990年、1995年~1999年と合計5~6回ほど訪問。
場所は上海市、浙江省杭州市・衢州市・寧波市・江西省南昌市、江蘇省蘇州市・無錫市・宜興市、遼寧省大連市、山東省青島市・煙台市・威海市、福建省福州市など沿海部中心にたけのこ、生椎茸、白菜、レンコン、アスパラなどの視察と調達です。
ヤオハン(当時は大繁盛)やジャスコなどの日系GMSや中国経営の百貨店食品売場の視察もしました。
その後、なかなか訪問する機会がありません。とうとう北京へは行けませんでした。
↓ 上海八佰伴購入品1997年4月 (顔部分修正)

・その場で似顔人形制作販売

↓ 手書き扇子販売。(食彩品館.jp 名前部分修正)

 最初訪問した時には、空港へ着いた途端に紅衛兵に取り囲まれて、「造反有理」とかスローガン言われながら自己批判させられるんじゃないかと真剣に思っていました。
どこへ行ってもビクビクです。ホテルへ入っても隠しカメラとか隠しマイクがないか探したり(笑)
文化大革命が終わってから10年以上経過しているのに私の世代はどうしても「人民服に毛沢東語録」のイメージが残っていて。

198904

 

 

 

1989年の中国。西湖で有名な浙江省杭州市。
まだ人民服の人が多い。

1995

 

 

 

 1995年の杭州市。
人民服の人は田舎へ行かないと見かけなくなりました。

中国の1番の思い出はやっぱり「」。
「空を飛ぶものは飛行機以外、地上の四本足は机とイス以外なんでも食べる」ということで、ヘビ、アヒルの舌、田うなぎ、すっぽんの首、蛙などなど。
高いレストランは浙江省杭州の「楼外楼」、安いところはドライブインの屋台。
何回も行くとコツを覚えて「チャーハン(当たり外れなし)とたまごスープ(たまごは美味しい。平飼いの地鶏)と野菜炒め(産地のお店は新鮮)」だけ頼んでいました。
それでも市長さんとか工場のえらいさんとかの宴会だと「高級料理」を食べさせられます。
山奥の日本人とかあんまり行かない土地の食べ物は口に合いませんでしたが、上海あたりの日本人駐在員御用達の中級レストランなんかは激ウマ。
特に1995年以降は格段に味付けと服務員の愛想が良くなったと思います。
「冷えたビール」もレストランでオーダーできるようになったし(笑)上海では生ビールも飲めるようになっていたし。
「冷えたビール」を注文するとグラスに氷を入れたビールが出てきた頃が懐かしい。
199004

 

 

 

↑ 浙江省衢州市(1989年当時は上海からこの地まで3泊しないと行けなかった)からさらに奥地へ入ったところの地ビール。
同じラベルでもビール瓶に入っている量が1本ごとに違う。

有名な「龍虎闘」とかいう料理(材料は「龍」のかわりに蛇、「虎」のかわりに猫)は食べれませんでしたが、1番の思い出料理は「さそりの唐揚」。
1996

 

 

↑ 1996年山東省青島市から煙台市への途中のレストランにて食す。塩味で小さなエビの唐揚のような感じ。

1996_2

 

 

 

この時は居合わせた人民解放軍兵士と一緒に食事しました。「三大紀律八項注意」とか書いて筆談。

ベテランの商社マンの人に「絶対に食べたらダメな料理は?」と聞いたら
「貝の刺身」だそうです。めちゃくちや鮮度が良かったので調子に乗って食べたらひどい目にあったそうですよ。
実は刺身も青島市とか威海市で食べたことあるんです。よく病気しなかったもんだ。
そういえば中国の人はなま物とか冷たいものは控えてたなあ。生たまごは絶対に食べなかったし。
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注意: この記事は中国の食文化や衛生事情に対して非難したり、見下したりするものではありません。
すばらしい中国の文化に対して、私は畏敬の念を持っております。それはシリーズ第二弾以降で記事にしたいと思っております。ご理解のほどを。
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中国図
Photo
訪問地(実際は拠点として各周辺を訪問)
Photo_2

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【以下、別記事より転記】

初めて中国を訪れたのは1989年。30年前。

当時の「地球の歩き方」を読むと、外国人が入れない地区が決められていて、私が入境した筍の産地もそういった場所の近くにあったようです。
入境には許可が必要で、その手続きや同行する省の政府関係の対外輸出管理担当者やよくわからない立場の人々との待ち合わせなど、同行案内してくれた商社の人は大変だったと思う。

今から思うと汗顔の至り的な場所で記念撮影をしたり、現在では到底、入り込めない場所に入境したりと、大変、貴重な体験をさせてもらった。

 1989年以来、5~6回に及ぶ中国訪問で、上海、福州、南昌、湖州、蘇州、無錫、常州、寧波、杭州、紹興、青島、煙台、威海、大連といろいろ訪れたが、やはり、初めて訪れた浙江省杭州市と衢州市周辺の思い出が印象に残る。

 当時はまず、空路上海市に入り、上海市で一泊。外国人が立ち入りできない場所に入るための手続きがいろいろあって・・と商社の方から言われていました。

 翌日、鉄道で杭州市へ、そこで1泊してからさらに奥地(地図ではちょっだけ海から離れた場所だが)衢州(クシュウ)へ入る行程。

目的地であった衢州市周辺はさらにのどかで、生まれ故郷の紀州熊野の昭和30年代の山村を思い浮かべる雰囲気。
現在の中国からは想像できないくらいにのんびりした雰囲気で、上海市も人民服を着た人がいて、杭州市でも半分くらいの人が人民服を着ていました。

しかしながら自転車が道路に広がり、自動車はクラクション連打で喧噪の極み。連結パスは大混雑で、列車に至っては指定席にもかかわらず、先着争いと列の割り込み等々。

↓ 1989年~1990年当時の中国

↓ 1989年~1995年当時の市場(杭州、龍遊、他)

 2020年現在は衢州まで上海虹橋駅から超特急列車/高速鉄路のG列車で2時間16分。快速列車でも5時間30分~6時間弱。
上海から杭州ならば1時間弱で到着可能。

当時は3日かけて目的地の衢州市へ入ったが、上海から杭州市まで約4時間から5時間、杭州から衢州まで7時間から8時間かかったと記憶している。
最初に訪れた後、5年経過した1995年にも杭州を訪れているが、列車で1時間から2時間程度だったので、いかに1989年当時の鉄道事情が悪かったかが伺える。

当時の説明としては、日本人の犠牲者を出した1年前の1988年の鉄道事故以来、安全対策のため速度制限が極端に厳しくなったためと説明を受けた。
上海郊外の事故現場を通過する時には同行者全員でお祈りした。
そういった事情もあり、鉄道乗車中はずっと緊張していたことを覚えている。

1989年、1990年、1995年当時↓

 お金も要注意で、中国人民が使う「人民幣」と我々外国人が使う「兌換元(だかんげん)※1979年~1995年廃止」が存在し、商品(中国外製品)や店によっては外貨兌換元でないと買えなかったりする。
当時の元のレートは1980年が151日本円/1元で、1985年に突然、50日本円/1元になり、兌換元が廃止となる1995年には11日本円/1元まで下がっています。(2020年4月は15日本円/元)
また、額面の価値は同額だが、人民幣からは日本円等の外貨に両替できないこともあり、当時の兌換券の最高金額札であった100元(1989年当時36,675円)で買い物してお釣りを人民幣で返されると大変なことに。
滞在中に人民幣で買えるものは低価格商品ばかりで使いきれず、かといって前述のように人民幣から日本円に両替不可。ただの紙切れとなってしまう。
当時(1989年)は知らなかったが中国人民にとって何でも買える兌換券は魅力があって、闇両替のレート(1.5倍~1.8倍)が存在していたとWikiに書いてあった。
我々の一行(10名程度)は商社の方と現地の対外貿易関係の役人がガッチリガードしていたので闇両替等の怪しい人は寄ってこなかったので、この件は後で知った。
↓ 当時の兌換元。裏面が使用注意事項が英語で記載されている↓

 現地到着までの食事もなかなかのもので、特に列車で食べる食事は強烈なインパクトがあった。
味付けも使用していた食用油等も現地の方々の食べる食事は好奇心旺盛な食彩品館.jpでさえ、手を出すのをためらう味の料理。
帰国後、もったいないことした。もっと食べておけばよかったと思って、2回目以降はなんでも食べることにして、ヘビやサソリやその他怪しい肉までいろいろと食べていたら、同行のベテラン商社マンに「ナマモノだけは絶対にやめた方が良い」と忠告された。

1990年代になるとビールも冷えていて、刺身なんかも出されるようになったがベテラン商社マンの方は刺身で大変な経験をしたとおっしゃってました。

↓ 上は楼外楼(杭州,1989年)、下は福州市と大連の鮮魚系食堂

  何故、水煮たけのこの産地をわざわざ見に行ったのか。

1980年代当時、中国で生産された水煮たけのこは選別状態が悪く、日本国内で再選別をしてから国内流通させている製品が時折、あったと記憶しています。2008年には産地偽造で逮捕者が出る騒ぎがありました。

1980年代後半には、某大手企業が「中国産」と堂々と表示して販売しているのを見て、自分が調達している商品が果たして本当に自分が思っている産地の製品か確かめることに。
それとは別に、国内のたけのこ産地が減少する中、改革開放路線に切り替えた中国産にシフトしている事情もあったため、自分の目で産地の状況を確かめたいと思ったのがきっかけ。

 結論としては、工場間の製品に品質的なバラツキがあり、特に衛生面や生たけのこの鮮度管理などいろいろな課題があることを知る。
↓ 1989年・1990年タケノコ工場(浙江省)

↓ 1996年 管理されたタケノコ工場(江蘇省・浙江省)

ということで、私なりに調達する筍の品質基準を作成し、その基準に合致した製品を製造する工場のみを指名買いするように改善した。
ところが、翌年訪れると、良いと思った工場の製品の品質レベルが変わっていたり、逆に改善されていたりするので、毎年、行かないとわからないなぁと思っていたら、翌年、私は部署移動。

元の調達部署に戻ったのは5年後で、再度、中国を訪れた時にはすっかり様変わりしていて大変、驚いた。
ビールは冷えているし、食事していたら商品を売りに来るし、店員は愛想が良くなったし、様子が変わってしまった。

 その後、前述のように、南は福州から北は大連まで中国の沿岸部各地を訪れているが、最初に感じた強烈なインパクトはもうなくなってしまい、人民服を着た人は都会からいなくなり、人々の暮らしも豊かになった。
猛烈なスピートで世界のナンバー2の経済大国になった中国。
その中国の発展途中を現地体験したということを自分史としていつか振り返ってみたいと思っています。

↓ 1989年、1990年、1995年、1996年、1997年の現地の雰囲気↓

↓ 山奥のホテル

↓ 都会のホテル

↓ 市場の雰囲気

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2008/08/30中華人民共和国産地訪問

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